*** 子育ち12章 ***
 

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「第 15-12 章」


『育ちには 波瀾万丈の 冒険を』


 ■徒然子育て想■
『苦あればこそ楽?』

 蝉噪(さわ)いで林いよいよ静かなり 鳥啼いて山更に幽(しず)かなり。芭蕉の詠んだ有名な俳句,しづかさや岩にしみ入る蝉の声 の元になった句です。蝉や鳥の声があるから,静かさを感じるという風情です。かすかな音が聞こえるのはその周りが静かだからですよという気付きです。人の感受性の特徴をつかまえています。古典の教養として,この芭蕉の俳句は知っているという方は多いのですが,それを生かしている方は少ないでしょう。

 ものごとは否定するファクターを加えることで,かえって際立つということがありますね。ぜんざいの甘さを引き立たせるために,隠し味として塩を加えます。ちょっとした邪魔が入ると,好きだという恋心が増幅されたという経験はどなたもお持ちでしょう。内緒だから教えられないといわれると,余計に関心がかき立てられます。限定品であれば,価格以上のプレミアムがつきます。あなた以外いないと思うから,夫婦という絆が強まります。絵を描くときも,例えば山を描くときに,山の一部を雲で隠すと,高い山ということが際立ちます。

 ママ〜,お腹空いた〜,何かな〜い? 夕ご飯前になると必ずおねだりをしてきます。一番空腹になる時間ですから,仕方ありません。それでも「ダメ」と却下されます。食べたい気持ちを抑え込まれ,焦らされるから,やっと食べられる夕食の美味しさが引き出されます。美味しさというのはご馳走にあるのではなく,食に触れる感性の繊細さにあります。待っていた,その出会いの喜びが味覚に転じたとき,美味しさという共感が溢れてきます。

 簡単にできることには感激がありません。あれこれ考えて工夫して,何度も失敗して,やっとできた! そこに感激が生まれます。否定されることで,焦らされ,期待が熟成され,受け止める気持ちが静かに整えられていきます。盛り上がっていくと言えば,分かって頂けるでしょうか。子どもが育つとき,すんなりといけば,育ちに喜びは感じないでしょう。大人でも同じです。あれやこれやのつまずきがあるから,迎える今日を喜ぶことができます。十月十日の辛さがあるから,ママはわが子が愛おしくなります。残念ながら,パパにはその苦労がありません。

 ところで,子育てをする側は,うまくいくことを願っています。でも,子どもは親の思い通りには育ってくれません。初めての子育てでは,そのことがいけないとか,間違っているとか感じてしまいがちです。それは子どもを責めたり,親が自責の念にとらわれたりする要因です。今はうまくいかなくてもいいのだ,少し待ってみようという気持ちがとても大事です。否定されることを楽しむつもりで,子どもと向き合ってください。できないから,育っていることがちゃんと見えるのです。



【質問15-12:ママは,どうして子どもの冒険を遮るの?】


 ○冒険こそ体験!

 シルバニアファンの6歳になる娘さんがいました。ウサギさん一家のお父さんだけを持っていなかったために,しかたなくリスをお父さんにしていました。やがて,ウサギのお父さんをゲットできることになりました。ママが「リスはどうするの?」と聞くと,「リスとは別れさす」と,まるで頑固親父のような台詞を真剣な目で答えていました。その言葉は,やがて年頃になった自分に向けられるかもしれませんね?

 人とのつきあいは,大きな冒険です。あの子とは遊んではいけません,そんな言葉は今時流行らないでしょうが,やはり友だちは大切と思われています。ところで,自分の都合でつきあい相手をコロッと変える移り気は,大きなしっぺ返しを招く場合があります。誰とつきあおうと勝手であり,それなら誰と別れようと勝手という開き直りは,その無神経さが要注意です。若者たちの姿に見える危うい人づきあいのパターンを心配するからです。

 小学一年生の息子さんが勉強をしています。「3+2」を使って問題を作りましょう,という宿題が出ていました。息子さんが「こんなの,ありかな?」と聞いてきたのでノートを見ると,「おんどりが3羽いました。めんどりが2羽いました。おんどりはなんと鳴くでしょう? (答え)おんどりゃー」。このまま本当に提出する勇気があるのか,ママは聞いてみたくなりました。

 子どもは冗談や悪ふざけが好きです。勉強をしていても,ついいたずらをしたくなります。宿題という大まじめな舞台でギャグを言うのは,大きな冒険でしょう。それを知った以上,ママは封じるはずです。そのときに,「何をバカなことを考えているの!」と咎めるのは止めて下さい。たとえ悪ふざけであっても,子どもはノートに書きました。書きながら,ワクワクしていたはずです。外れていることは十分承知しています。それを否定するのではなく,もう一つ考えてみよう,と先に進ませてやればいいのです。

 3歳の嬢ちゃんがママの実家に電話をしました。電話に出た祖母に向かって「おばあちゃん?」と聞いたところ,祖母が気取って「左様でございます」と応えたようでした。嬢ちゃんは思いがけない応対に「?」となり,隣にいたママに「おばあちゃんの名前って"さよ"だった?」と尋ねました。「"さよ"じゃない」と言われた嬢ちゃんは慌てて電話を切ってしまいました。

 見えない相手とのやりとりは,嬢ちゃんには大きな冒険だったでしょう。おばあちゃんと呼びかけた時,おばあちゃんですよという返事を期待していたはずです。見えない世界に踏み込む心細さは,言葉が予想通りにつながるという一点に支えられています。大人でも間違い電話をかけた時,とんでも無い世界に踏み込んでしまったという思いにとらわれ,大人げなくガチャッと切ってしまいます。嬢ちゃんにはちょっとハイレベルの冒険だったようです。

・・・子どもにとっては,あらゆることが冒険になります。・・・


 ○冒険にも程が?

 パパと3歳の息子さんが一緒にデパートに行きました。子どものフロアに行ってみると,時節柄,雛人形がたくさん並べてありました。数が数えられるようになった息子さんは,自慢げに人形の数を数えだし,女性の人形がお雛様と三人官女で4人いるのを確認して,「この人,4人かのじょっていうんだよ」と教えてくれました。パパは,ちょっぴりお内裏様がうらやましくなりました。嘘ですよ!

 最近の幼児はテレビや大人社会の開けっぴろげな性モラルの中で,男女関係への早熟さが見られます。もちろん本物ではありませんが,バーチャル体験として器用にこなしています。会話だけ聞いていると,大人の軽口さながらです。時代に生きている子どもですから,その是非をとやかく言うことではありません。とはいえ,あまりに早い疑似体験は,お年頃になった時に妙に白けてしまうことはないのかと心配されます。前にも書きましたが,若い方の男女関係がギクシャクしています。

 悪さをして叱られたことで泣き叫んだ女児が,「おとなしくなるまでそこにいなさい!」とトイレに閉じ込められました。しばらくギャーギャーと泣き叫んでいましたが,そのうちおとなしくなり,そろそろ反省したのかと思われた頃,トイレから悲鳴が聞こえてきたのです。トイレットペーパーを大量に流してトイレが詰まり,洪水が起きていました。ママはそれに懲りて,次からは風呂場に閉じ込めることにしました。おとなしくなってからママがドアを開けたとき,湯船からはもうもうと泡がたっていました。ありったけのシャンプーとコンディショナーを湯船に張ってあった水に入れたのです。懲りない子はどうしましょう?

 子どもは目を離すと,とんでも無い悪さをしでかしてくれます。でもそれは大人の目です。子どもの目では,未知への冒険です。こんなことをしたらどうなるか,という結果までは考えません。因果関係はたくさんの経験の後で手に入るものだからです。先のことなど考えずに,その場にあるものを使って遊んでいるだけなのですが,それが繰り返し続けられるから,やりすぎてしまうのです。閉じこめられたことさえ忘れて,遊びという冒険をする子ども,その一つ一つが育ちの歩みです。

 小学校1年生の娘さんには,ママが働いているので,「出かけるときはちゃんと,どこに行くか書いていきなさい」と言ってあります。いつもは「○○ちゃんの家に行って来ます」などとメモをしていくのですが,ある日ママが帰ってみると「秘密基地に行ってきます」と書いてありました。ちゃんとメモをしてあるから言いつけは守っています。それにしても,秘密基地ってどこにあるんでしょう? 分からないようにしているから,秘密基地なんですが!

 子どもはまだメモが相手に伝わるかどうかまでは斟酌できません。ママには知らせてないから秘密なのですが,秘密だからママは知らないという,ママの立場からの考えに至ることができません。大人にすれば同じことだと思われますが,自己中心的な考え方しかできないと同じではないのです。ママに内緒の秘密を持つことは,自己確立への必須科目です。心配ですから秘密基地を探しますが,見つけても知らんぷりをしておいてください。親離れという冒険をしているのですから。

・・・気になる冒険も必要で,行き過ぎないように見守ってください。・・・



《子どもの冒険は,やってみないと分からない体験と心得て下さい。》

 ○ママはおそらく,いい加減にしなさいという言葉を発する機会が多いことでしょう。子どもはしつっこく飽きずに繰り返します。子どもの思いの中では,一回一回少しずつ工夫をしてうまくやろうとしています。良いこととか悪いことという評定とは関係なく,とにかくやってみたいのです。やってしまって痛い目を見れば,それはもうしない方がいい,こうしていけないことを封印していきます。

 よい結果になることを先に考えるから,臆病になります。結果として,やらなかったことが増えてきて,育ちがこぢんまりとまとまってしまいます。少し羽目を外すくらいがよいのですが,そのためには結果を想像するのではなく,実体験することです。転んだことがない子どもは,上手に転ぶことができないのです。幼いうちに小さな痛みとつきあって転ぶ練習をしておけば,大きくなって転んだ時に怪我が軽くて済みます。大人の目には冒険に見えても,子どもには生き抜く練習なのです。

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