*** 子育ち12章 ***
 

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「第 2-02 章」


『川の字が 今夜は違うと 子に言われ』


 ■はじめに

 子どもは家庭という滑走路からまっしぐらに飛び立っていくものです。
 その練習をするために,何度も離着陸を繰り返そうとします。
 時には横風にあおられたり,つまずいて頭のめりにつっこんだり・・・。

 自分のベースである家庭が,常に平穏でなければ離着陸できません。
 家庭とはそもそもパパとママが協力して作りだしてきたものです。
 それがいつの間にかママと子どものものに様変わりしていませんか?

 子どもは,想像以上にパパとママの仲の良さにとても敏感なのです。
 自分が親たちと切実につながっているので,気になるのは当然です。
 親は夫婦のことがどれほど子どもに影響するのか分かっていません。

 今回のテーマは,子どもが育つ場所である家庭について考えます。
 子どもが親をどのように見ているかを分かってほしいからです。
 子どもにとっての家庭とは,パパとママの仲の良さなのです。



【質問2-02:あなたは,連れあいに似た我が子がかわいいですか?】

 《「連れあいに似た」という意味について説明が必要ですね!》


 〇どっちに似たのかしら?

 「パパ似だと 言われ泣き出す 我が娘」という川柳がありました。生まれたての赤ちゃんを見て,顔立ちはパパ似だけど目元はママにそっくりなどと,夫婦で話したことはありませんか? 自分に似てくれるとうれしいものですね。でも,自分が気にしているところが似てくるものです。そういえば,「娘たち 今に私に なるんだよ」という川柳もありました。

 父親はよい子については自分からの遺伝の力を信じ,悪い子については連れ合いの遺伝や環境の力を持ち出すことがあります。自分勝手ですが,お互い様といったところもあります。「父親を けなす母親 むっとして 逆らえば卑怯 泣いてわめいて」(矢野寿男著:「親を見りゃ ボクの将来 知れたもの」:三笠書房)。そこまではなくても,案外と近いこともあるかも・・・。

 長男がだんだん連れ合いに似てくるので,自分似の次男の方をかわいがってしまうというママの声がありました。連れあいに似た子もかわいいのではないかと思うのですが,いかがでしょうか? パパとしては,ママがそう思っているとしたら切なくなります。

・・・子どもはどちらに似たいのでしょう。・・・


 〇どうして似てくるの?

 ところで,子どもは仕草などが親によく似てきます。どうしてでしょう? 子どもは親のマネをして育ちます。そのことを少し考えておきましょう。静かな親であれば,子どもが静かにしていれば何も言いませんが,ちょっと騒がしくすると注意します。にぎやかな親であれば,はしゃぐ子どもには何も言いませんが,おとなしくしていると目について,どうしたと声を掛けます。親は自分と同じ子どもは見えませんが,ちょっとでも違うと注意します。普段のしつけは自分に似せようとしているのです。

 片づけ上手なママは子どもが散らかすとすぐ気がついて注意しますが,そうでないママは気にならないので放置します。親から似るようにしつけられ,子どもは親のマネをしていれば文句を言われないのでごく自然に似ようとするのです。子どもは親の言うようには育たず親がするように育つと言われるのは,こういうことなのです。

 似てほしくないところが似てくるのは,避けようがありません。連れ合いの気になるところを子どもに再現されても,それを含めて連れ合いを愛したはずです。自分の気にしているところも,それを引き受けて生きてきたことでしょう。そんなことを悩むよりも,親自身のいいところを子どもの姿から見つけてください。子は親の姿見なのですから。

・・・夫婦も親子も似る方が居心地がよくなるのです。・・・


 〇私のせいで?

 小学校を風疹のために4日間休んだ女の子がいました。登校した日の夕食の時です。何となく元気のなかった女の子が,突然幼い妹をいじめたことを告白し,「ごめんなさい」と言って泣き出しました。両親は訳が分からず,なだめながらどうして急にそんなことを言い出したのか尋ねました。

 休み中に女の子は,夫婦が言い争っているのを漏れ聞いてしまいました。そのわけはよく分かりませんでしたが,女の子はあれこれ考えました。そうして思い当たることがあったのです。それは数日前,妹をいじめたことでした。女の子はそれからどうしたらいいのか一生懸命に悩みました。そうして夕食の時に思い切って謝ったのです。「もう妹をいじめたりしないから,パパとママは仲良くして・・」と頼みました。

 もちろん,夫婦の争いの原因は全く別のことでした。でも,子どもには夫婦だけの世界があるなどとは思いもよりません。パパとママと自分の世界は一つであり,パパとママはいつも仲がいいものと思いこんでいます。だとすれば,パパとママが言い争うのは自分が何か悪いことをしたからだと考えるしかありません。たとえ的はずれであっても,家庭のいざこざを子どもは自分のこととして受け止めます。同時に,パパとママは仲良くしてもらわないと困るのです。

・・・子どもは両親のことも自分中心に考えています。・・・


 〇いけない子だから!

 病気になって子どもが入院する場合があります。もちろん入院するのは「治すため」です。子どももそのことは分かっています。しかし,入院することになった理由をどのように納得しているかが,大人は考え及びません。単純に病気になったからではないのです。子どもは,「親に対して何か悪いことをしたから罰を受けている」と思う子が多いのです。子ども側の分かり方は,大人のものとは違っていることがあります。そのことを親は知っておいてください。

 親の心子知らずと言われますが,子の心も親は知りません。子どもはとても親に気をつかっています。何か事態が急変したとき,自分のせいではないかと考えます。子どもが信じている家庭のイメージは,自分が中心にいる世界だからです。

 家庭の事情でママが働きに出るようになったとき,「自分を置いて出ていく」理由を探します。経済的な理由などは実感として分かりようがありません。ママが自分を嫌いになったからではないのか,それなら自分はどんな悪いことをしたのだろうか,ママはいったい何を怒っているのだろうか,と自分を責めていきます。相変わらず好きなんだということをしっかりと伝えてやってください。

・・・子どもは自分を責めなければ納得しないことも。・・・


 〇家庭の絆?

 家庭の絆は,まず夫婦の絆から始まります。自分を他人と関わらせる最良のキーワードは,自他の同一性を表す「われわれ=私たち」という言葉です。このわれわれ意識とは,どのようなものなのでしょうか?

 夫婦の会話で考えてみましょう。恋人時代から新婚時代までは,「幸せかい?」,「幸せよ。あなたは」,「ボクだって」と甘い会話が交わされたことでしょう。覚えていますよね。でも,まだ本当の夫婦の会話にはなっていません。なぜなら,「自分は幸せだけど,あなたは・・」と,別々の幸せを語っているからです。夫婦の会話はこうなります。「幸せだね」,「幸せですね」。自分たちは幸せだと言っているのです。二人合わせて幸せなのです。これがわれわれという気持ちの現れなのです。

 子どもは夫婦の間に生まれてきます。子どもは生まれながらに「われわれ」という世界に生きています。両親と一心同体です。家庭を第二の胎盤として育っています。だとすると,当然親子の会話も「われわれ」世界の会話になるべきでしょう。

 子どもが何かしら浮かない顔をしているとき,「大丈夫か?」と尋ねることがあるでしょう。でも子どもは尋ねられるよりも,「大丈夫,お父さんがついている」と言ってほしいと思っています。徒競走で走っていて転んだとき,ママは「痛い?」とは言わずに,「痛かったね」と子どもの身体の痛みを引き取りますよね。パパは「負けて悔しいな」と気持ちの痛みを受け止めます。「自分のことのように」ということです。このようにわれわれ意識が自然に出てくれば,子どもは「大丈夫,もう痛くない」と次に向かって育っていくことができます。

 子どもが「うちに生まれて損したなあ?」と思うときは,われわれ意識が満たされていないときです。団欒も同じ釜の飯を食べることで,われわれという気持ちを確かめ合うことができます。家族がバラバラでは,子どもは気持ちの充足が得られません。言葉や過ごし方や楽しみ方といったいろいろな機会を通して,「私たちは親子だ」ではなく,「親子は私たちだ」ということを子どもにしっかりと伝えてください。

・・・絆とは半分の糸と書きますよね!・・・



《連れあいに似たとは,子どもは二人の愛の証ということです》

 ○子育て場面ではパパはどうしても影が薄いようです。そのことをママが責めてどうにかなるなら責めることもいいでしょう。それよりも,楽しい親子になれば,パパも仲間に入れてほしいと思うのではないでしょうか。そのときママがパパの入ってくるのを待っていると,パパは言い出しにくいので,いつまでも扉は開きません。中から開けて招き入れてあげる優しさを・・・。虫がいいでしょうか?

 【質問2-02:あなたは,連れあいに似た我が子がかわいいですか?】

   ●答は?・・・もちろん「イエス」ですよね!?

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