『叱られた ママにすがって 泣く子ども』
■はじめに
お陰様で,「子育ち12章」は,昨年一つの区切りを結びました。
新しい「続・子育ち12章」は,振り出しから出直します。
全体の章立てはそのまま踏襲しながら,新しく書き直していきます。
「子育ち12章」では,子どもの育ちに必要十分な12項目を考えました。
これだけは欠かせないというものを見つけたら,子育てが楽になります。
それが揃っているという安心の上に,個性を磨いていくことができます。
子育てはそれぞれの親子ペア毎に多様なケースが現れてくるものです。
すべてに触れることは不可能ですが,例題があれば応用もできます。
日常生活に現れる親子の姿に込められている意味を見ていきます。
一つのテーマも,説明が変わると,より深く分かることがあります。
今後の12章の順序は前回のものと揃えておくようにします。
あわせて読んでいただけると,相互に補い合って理解しやすくなります。
今回のテーマは,「何処で育つのか?」という課題に関することです。
子どもは「居場所」があってこそ,育ちの芽を出そうとします。
そのためには,親はどんなことに気配りをしたらいいのでしょうか?
【質問2-01:あなたは,手塩にかけた子育てをしていますか?】
《「手塩にかける」という意味について説明が必要ですね!》
〇おふくろの味って?
「スーパーバーゲン食べさせて文句いうなと母はガミガミ」と思われてはいませんか? かつておふくろの味というものがありました。今は丁寧さを表す接頭語の「お」が落ちて,フクロの味に様変わりしていると語られています。「お母さん,あれ食べたい」と子どもにせがまれるような一品がありますか?
「我が家のお雑煮」といった季節の食事などは,ふるさとの味が込められているものです。母の手作り料理は馴染んでくれば格別美味しいとは思えませんが,決して飽きがこないという特徴を備えています。また,親元を離れたときに,母を思い出すのは手料理が筆頭でしょう。子どもの好きなカレーにしても,隠し味に醤油をちょっと加えてやると,ひと味違ったものになりますよね。子どものためにひと味違ったメニューを手に入れてください。
手塩とは食事の際に自分の好みの味に整えるために手元に備えておく塩のことです。ママが美味しいと感じる味を我が子に食事によって伝授することも,大切なしつけです。市販の味は濃いめです。味覚を強く刺激するから美味しく感じますが,飽きが来ます。飽きるという感覚は身体が健康上受け付けたくないというシグナルです。飽きることのないママの味を大事にしてください。
・・・食事に「ママの味」を振りかけてくださいね。・・・
〇親らしいこと,何をしてくれた?
親子関係が崩れたときに,「親らしいこと,何もしてくれなかった」と反撃されることがあります。親は子どものためにあれこれしているつもりですが,子どもが期待していることとはすれ違ってしまうものです。例えば,ママが仕事で出かけるとき,「これでお昼を食べてね」とお金を渡します。ママは子どものためにがんばっているのですが,子どもは「お母さん,お金は食べられない」と思っています。
子どもは直接的です。自分のために直に手をかけてくれたことしか見えません。「あなたのためにここまで用意してある」と見えるようにしてやって下さい。自分のことは自分でできるようにという自立へのしつけも大切ですが,そのことを急ぐあまりに親子の関係が子どもに見えなくなると逆効果です。
孫が入学してまもなく祖母が亡くなり,しばらく経ってママが祖母のタンスを整理していたときのことです。古くなった着物で丁寧に縫い上げたブックカバーが出てきました。ママは子どもが入学の時に市販のブックカバーを買い与え,今もそれを使わせていました。孫のためにと手作りしたブックカバーを出せずに,祖母はタンスにそっとしまい込んでいたのです。
子どもを育てるためにはお金が掛かるというのが今風です。しかし,お金で買えるモノや手間を子どもに与えてばかりいると,子どもは親として何もしてくれていないと思います。私のために手作りしてくれた私だけのモノということの意味は,とても大切なことなのです。すべてを手作りでと言っているのではありません。できることだけでいいのです。親のすべきことを専門的な外注ばかりに頼らないでほしいということです。
そうはいっても,今の子どもたちは私だけのモノが皆と違っていることを嫌がることもあるでしょう。あるいは人より高価なモノを持ちたいという贅沢さがあるかもしれません。モノに限ればそうなりますが,我が子だけのためにしてやれることは衣食住の中にたくさんあります。また,表向き格好悪いと嫌がっても,してくれたことはうれしいと感じているものです。
・・・ちゃんとしたことでなくても,親のぬくもりは伝わります。・・・
〇お母さんのしゃもじ?
かつて主婦のシンボルといえば「おしゃもじ」でした。単純に台所のイメージを表現していたのではありません。ご飯をよそってあげるときに,パパは仕事をしてお腹がすいているだろうから多めに,息子は育ち盛りで山盛り,娘はちょっと体調を崩しているの少な目に,私はダイエットでちょっとだけといった量の塩梅をしています。家族一人ひとりの健康と食事のバランスを管理していることが,しゃもじというシンボルの意味でした。家族がどんな状態かを知らなければ,しゃもじは使えません。
子どものおはようという声に力がないとき,「どこか具合でも悪いの」と尋ねますね。そんなときはそばに行って,ママのおでこで熱を測ってください。ワザワザ直に子どもと接することを省かないようにしましょう。子どもの自己申告に任せるのではなく,ママの手で確かめることです。普段からそうしておかないと,いざというときにその変化が見えないからです。
子どもが病気になって病院に駆け込むこともあります。そのとき聞かれるのが,「平熱は?」など,健康なときの状態です。元気なときの平熱など測っていないので,返事ができません。「食欲は?」についても,日頃からしゃもじの加減をしていないと分かりません。ママによる健康カルテをお忘れなく。
・・・しゃもじを上手に使ってください。・・・
〇あれほど言ったのに!
子どもが傘を持たずに出かけて,帰りには雨にあって濡れて帰ってきます。出がけに降っていないと傘を持っていくのはおっくうなものです。ママが傘を持っていくように言っていても,こっそり置いていったりします。濡れたまま玄関に立っている子どもに,「あれほど傘を持って行きなさいと言ったのに。ママの言うことを聞かないからよ」と声が飛びます。
続けて,「濡れたままで上がってきてはダメ」です。用意周到なママは,「そこにタオルがあるでしょ。ちゃんと拭きなさい」と次の指示です。言われたとおりにして,子どもは裸でママの前に登場します。そこで,「濡れたものはどうしたの?」,「玄関」。「ダメじゃないの。濡れたものは洗濯機に入れておきなさい。そんなことも分からないの」とダメを押します。
この間,ママは声による指示と注意だけです。ママの手は遊んでいます。例えば,タオルを手渡しするとか,濡れたものを持ってやるとか,子どものそばにいて手を貸してやることができます。自分の判断が誤り濡れるという失敗をしたとき,その後始末をどうつけたらいいのかを教えるチャンスです。そばにいて一緒に見届けてやる姿勢を示してほしいものです。濡れたことで子どもはもう十分に反省をしています。親がしつけることは始末の仕方です。
幼子であれば悪気はなくても好奇心に駆られてついママの邪魔をしてしまいます。思いがけずママに叱られてびっくりし泣き出すこともあります。そんなとき泣きながらもママにすがりつきます。ごめんなさいと言っているつもりなのでしょう。口では叱られても,自分のことを抱きしめてくれるやさしい手を信じています。そのぬくもりを感じている限り,子どもは素直にママの言葉を受け入れようとするはずです。
・・・聞かなかった反省を,次へのしつけに一緒に活かしてください。・・・
《手塩にかけるとは,育ちの場に温かな親の手をわずらわすことです》
○顎でこき使うという言葉があります。口頭による指示にはよそよそしさが漂います。手をかけてくれたという思いは,ワザワザ親が自分のために手を使ってくれたときに生まれます。顎によるしつけではなく,手によるしつけを・・・。
【質問2-01:あなたは,手塩にかけた子育てをしていますか?】
●答は?・・・もちろん「
イエス」ですよね!?