『ママの手が ボクの心を わしづかみ』
■はじめに
育っているのは誰でしょうか?
「子ども」に決まっていると思われてはいませんか?
本当にそうなら子育ての問題はかなり無くなるはずです。
犯罪を犯した人の責任能力が問われていますね。
人格が病に冒されて正常でない場合には責任は問われません。
下手人と人格に分けて,人格をもって人とみなしているのです。
自尊心とは自分を尊ぶことですが,誰が尊ぶのでしょうか?
自分が自分を尊ぶことですね。
自分を尊ぶ「もう一人の自分」がいなくてはなりません。
育っているのは,子どもの中にいる「もう一人の子ども」なのです。
ママから離れることによって,もう一人の子どもが誕生します。
子どもは二度誕生するのです。
第二の誕生によって人格という名のもう一人の子どもが・・・。
【質問4-05:お子さんは,ママに逆らい主張していますか?】
《「主張する」という内容について,説明が必要ですね!》
〇遺伝子の主張?
リチャード・ドーキンスは著書「利己的な遺伝子」の中で,遺伝子は自分のコピーが増えることを願って個体を操作すると述べています。動物が老いて死ぬというプログラムを埋め込まれている理由は,子ども世代の生殖を妨げると自分の遺伝子を残しにくいために,引退すべきであるということなのです。
子に尽くしたあげく自分の身体を食べさせるヒメグモの母,早生まれのヒナにほぼ確実につつき殺されるイヌワシの二番目のヒナなど,自分の血統を残すのに都合のよい選択になります。個を遺伝子の存続に従属させる摂理は,個を大切にしようとしてきた人間には非情に思えます。
わが子を虐待してしまう親性は反自然的です。なぜなら,自分の遺伝子を我が手で抹殺するのですから。そこでほとんどの人は虐待をする親を親ではないという印象を持ちます。親は遺伝子を残そうとしてこそ親になれるということを本能的に分かっています。
子どもが自分の生存を主張するとき,例えばお腹が空いて泣くとき,それを満たしてやろうという気になれるなら親です。もし,泣き声がうるさくて聞く耳を持てなくなったら,親という遺伝子が休眠状態に陥っていることになります。
・・・生存への主張を聞き分けられる親になりたいですね。・・・
〇多重視点?
子どもの描く絵は抽象画のようです。バランスが悪くて落ち着かない気持ちになるかもしれません。ピカソのような巨匠の絵と子どもの絵の類似性はどこにあるのでしょうか? 古代エジプトの壁画なども人の前向きと横向きが混在しており,不思議な絵という印象を持たれることでしょう。
写真のような絵,つまり写生画が絵であるという思いこみがあります。このような絵は描く人の目で見たものです。写真であればカメラのレンズを通して見える形です。ママは子どもの絵を見ていて,「ここは違うでしょ。もっとよく見て」と注意しますね。
巨匠の絵はたくさんの目で見たものがごちゃ混ぜに描かれています。言い換えれば,対象をあちらこちらから見ているのです。自分の目ではなくて,もう一人の自分の目で見ています。自分は前にいますが,後ろから見たらどう見えるか,横から,上から,下からと視点を動かしています。もう一人の自分は縦横無尽に遊離し,多重な視点を持つことができます。このもう一人の自分が描く絵,これがあの不思議な絵になります。
ママは鏡の前で横,後ろの視線を気にして身繕いをしているはずです。自分をあちらこちらから見る,それがもう一人の自分の視線です。子どもの描く絵が写真のようでなく視点を動かしている絵であれば,ママはお気に召さないかもしれませんが一緒に楽しんでくださいね。
・・・子どもの絵による主張には,もう一人の子どもの目が潜んでいます。・・・
〇任せる?
伊丹監督が日本の男について,「孤独に耐えられない,自分で決断できない,自分で責任を取れない」と語っていました。何とも頼りない状況です。結婚までは無理して大人っぽく振る舞っていても,一緒に暮らしてみると,女は「お母さん」,男は「幼児」の関係に逆戻りすると言う人がいます。
自分という言葉は,自分を分けると見れば自分ともう一人の自分に分ける,自分を分かると見ればもう一人の自分が自分を分かるということになります。いずれにしても,もう一人の自分が主役です。自問という語ももう一人の自分が自分に問うことです。自律も自分を律するのはもう一人の自分です。
男の子の中にもう一人の男が育っていないと,無責任な男になり,頼りない大人ができあがります。別に男にこだわることもなく,事情は男女ともに同じでしょう。ママに逆らって曲がりなりにも自分の主張を通す体験を重ねれば,幼児の殻から脱皮できてもう一人の子どもが育つはずです。いつまでもママが頭ごなしに決めていると,もう一人の子どもが決めること,責任を取ることができなくなります。
・・・もう一人の子どもに決めさせてみようという余裕を。・・・
〇子どもの天下?
運動競技において,イメージトレーニングという練習法があります。自分の運動スタイルを理想的なイメージに沿わせようとします。つまり,もう一人の自分がイメージする形に自分を追い込もうとする練習です。
子どもの遊びを見ていると,「その気になって」夢中で遊んでいますね。ドラえもん,ピカチュウ,ミッキーマウス,ライダー,ウルトラマン,多くのヒーローになりきっています。これも立派なイメージトレーニングです。正義や友情のためにがんばるというトレーニングをしています。それなのに,ママが「いつまでそんなことをしているの」と現実に引き戻します。「せっかくいいところだったのに・・」と,子どもはおかんむりです。
遊びは日常の自分を離れて,もう一人の自分が思うままに自分を操ります。ままごとでは女の子はママになりきっています。パパはもう一人のママをわが子に見つけて苦笑いをしていることでしょう。遊びが楽しいのは,ママの支配を脱してもう一人の自分の天下になるからです。遊びをしていない子どもの危うさは,もう一人の自分を思いっきり主張したことがないことに由来しています。
・・・遊びというママからの離脱を楽しませてください。・・・
〇子どものアイデンティティ?
長男と次男では同じ親の元で育っても性格が違っています。次男の方がしっかりしているケースが多いようです。どうして差が出るのでしょうか? 一人っ子が甘えん坊に育つという傾向も見られますが,それは長男と共通している特徴のようです。
アイデンティティの基盤はもう一人の自分が選択できるということです。生きていくためには常に選択に迫られます。その決断ができる力を備えたとき,個性が発揮されます。選択に直面し決断ができないまま迷っている状態がモラトリアムです。大学までは順調に入学できたのに,そこから急にママの手が届かなくなるので,アイデンティティの弱さを露呈する若者が増えてきています。自分が将来に向けて何をしたいのか選択できません。
長男はママの言いなりに育てられますが,次男は長男の姿が目の前にありますから学習します。こうしたらママに叱られるということを長男を見て知りますから,もう一人の次男は避けて通ることができます。こうして長男は手がかかるのに,次男はママの手から上手にすり抜けていくことができます。もちろんママの方も2回目の子育てですから要領を覚えて少しは余裕のある態度を示すということもあります。ママの網は粗い目である方がもう一人の子どもはのびのび育つようですよ。
・・・決断の危なっかしさには少し目をつぶりましょう。・・・
〇わがままな主張?
講演会で学んだお話しをお伝えしておきましょう。子どもは早寝をさせなさいというアドバイスです。起きて2〜3時間は頭が十分に働いていないそうです。ぎりぎりに起きて学校に行っても,午前中はぼやっとしているので折角の勉強が無駄になります。
ママにアドバイスしたら「早く寝せようとしても子どもが寝たがりません」と反論されてしまうそうです。それは子どもの主張を受け入れていることになるのですが,果たして自主性に任せていると言えるのでしょうか? それは子どものわがままに過ぎません。早く寝た方がいいと分かっているのですから,親がきちんとしつけなければなりません。寝たがらないと放置したら,それは親の怠慢になります。親が決めてやらなければならないこともあります。
寝なさいと一度や二度言って聞かないからとあきらめてはいけません。繰り返し根気よく寝るように指導します。ただ,手っ取り早く叩いても寝せるという荒技は有害です。寝ようともう一人の自分が決めるまでしつこく働きかけます。もちろん早く起こせば夜は早く寝るという裏技もあります。「早起きは三文の得」ということわざがありますが,このような生活上の知恵に逆らう主張はおおむねわがままと判断していいでしょう。
・・・ママが早起きをして,お迎えをしなければ!・・・
《主張するとは,もう一人の子どもが育とうとしている合図なのです。》
○ママが手を引いて歩いていると,子どもがママの手を振り払おうとすることがあります。自分で行きたいところに行きたいのです。危ないところなら手を離せませんが,そうでもないときは子どものしたいようにさせましょう。転けたら転けないようにしよう,滑ったら滑らないようにしよう,ぶつかったらぶつからないようにしようと,もう一人の子どもに考えるチャンスが生まれます。
【質問4-05:お子さんは,ママに逆らい主張していますか?】
●答は?・・・自信を持って,「
イエス」ですよね!?