『子育ちは 愛の連鎖を つなぐこと』
【目標 42-13:自分を愛すること】
■子育ち12目標■
『子育ち第13目標』
〜「自分を愛する」ということの意味について説明が必要ですね!〜
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○自分を愛すのは誰でしょうか?
誰でも自分がかわいいものです。何よりも自分を大事に思うのはもう一人の自分であり,それは遺伝子がもたらす自己保存本能の現れです。幼子は夜中に泣き出して、親の安眠を邪魔してくれます。生きることが心地よいと感じ取るためには,小さな不快は解消しなければなりません。不快や不安を早く取り去って欲しいという欲求は,時所を選ばずに出てきます。しばらくは付き合ってやらなければなりません。もう一人の子どもがまだ生まれていない間は,自己愛を動物的な欲求として表出します。
幼子のわがままは生きようとする意志であり,受け入れて応えてやらなければなりません。周りの者を困らせようという積もりはありません。もう一人の子どもが生まれてくる前は,自他の区別はつかないのです。子どもは生まれてきて、この世に受け入れられているという感じをつかむことができれば,生きる力が呼び覚まされます。
物心が付いて、もう一人の子どもが生まれてくると,私と他者を区別できるようになります。私とママがここにいる,そう気付いたもう一人の子どもが自分を理解します。私,僕といった意識を持つことによって,もう一人の子どもが自分を愛するようになります。
・・・もう一人の子どもが生まれて,自分への愛に目覚めます。
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○愛すべき自分はどこにいるのでしょうか?
誰からも好かれたい,愛されたいと思うのも,ごく自然な願いでしょう。好かれなくてもいいと拗ねることもできますが,好かれたいという思いの裏返しです。愛されていると感じないとき,その辛さを軽減しようとして,自分を愛さない周りの他人が悪いと思うことがあります。逆に,周りからチヤホヤされていると,自分は愛されていると思ってしまいます。
もう一人の自分が自分を愛していればそれだけでいいとはいかないようです。自分以外の人からも愛されていると確かめることができないと不安になります。皆の中の愛されている自分,愛されてとまではいかなくても,好かれているということがなければ,いけないようです。
子どもたちの友達関係の持ち方が,窮屈になっていることが気がかりです。関係の評価が二元的になっており,好きでなければ嫌いと反転することです。好きでも嫌いでもないという曖昧な関係を許さないことが,いじめなどにもつながる窮屈さです。愛されていなくても,憎まれているわけではないという余裕のある人間関係がなければ,辛いことになります。愛されていなければならないという脅迫的な状況に陥ります。
愛するということは,押しつけられるようなものではありません。自由で余裕のある人間関係の中にあるものです。ほっと心落ち着いた場にあるときに,もう一人の自分が自分を素直に愛おしく思うことができます。
・・・ゆったりとした関係の中に,愛すべき自分が見付かります。
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○自分を愛すのはどういうときでしょうか?
自分を意識する機会は,例えば鏡に向かって,そこに映っている自分の姿を見るときです。鏡に向かって「世界で一番美しいのは誰?」と問いかけて,自分であるといわれたとき,自分を愛することができるのが,白雪姫のママです。一番でなかったら,姫の命を奪ってでも一番にならなければと,おとぎ話の世界では恐ろしい展開になります。
「私は○○である」と満足のいく言葉が思い浮かんだとき,愛すべき自分を認めることができるでしょう。自分を肯定的に表現する言葉が手に入れば,自分を理解することは喜びとなります。自己紹介をするときは,「私は何者であるか」を語らなければなりません。その語り口の中に,それとなく自分への愛が込められています。
人が何かに感動しているとき,それは自分の感情表現であり,感動している自分をもう一人の自分は愛おしく思います。人がもっとも感動するのは,生きるということについてです。赤ちゃんの誕生,危難に遭っている人の救助,命をつなぐ営みとしての花,生きる場面に出会い,感動し,生きることに共鳴している自分だからこそ,もう一人の自分は自分を愛するようになります。
・・・生きている自分に気付いたときに,愛が芽生えます。
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○自分の何を愛せばいいのでしょうか?
優れたところを持ち合わせている自分であれば,愛しやすく,一方ダメな自分?は愛しようがないと思ってしまうかもしれません。しかし,優劣のような選択性価値観とつながった思いは,愛ではありません。ダメな自分だから愛するということが起こっていいのです。
親が子どものダメなところを叱ってばかりいると,子どもは自分の存在を否定されているように感じます。バカな子ほど可愛いという愛の形を思い起こせば,子どもをありのままに丸ごと受け止める親の愛をきちんと示すことが大事です。条件を付けて,○○だから愛するということではなく,そこに生きている存在そのものが,愛の対象になるべきです。
愛という字は心を真ん中に受けると書きます。心という字が受けるという字の中央に位置しています。心とは揺れ動き移ろうものでとらえどころがありませんが,そのような頼りなげな心を真ん中で受け止める覚悟が求められます。あえていえば,よりよく生きようとしている健気な心を愛するようにしてみましょう。
・・・あくせく生きようとしている命が,愛すべき対象です。
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○なぜ自分を愛すのでしょうか?
生きる自分を大切にする際に,うぬぼれやわがままを産み出す自分への執着は,愛に昇華することはありません。オヴィディウスの「変身物語」があります。主人公のナルシスは誰も愛することができず,彼を愛したエコーは彼の言葉をただ繰り返すことしかできず,ナルシスは彼女の気持ちに共感することは全くできません。ナルシスは他者と関係を持つことができず,水面に移った自分の姿しか見ることができないのです。誤った自己愛です。
人は独りでは生きていけません。頼り頼られるという相互依存が必須です。人間関係の形で言えば,信頼関係です。その基盤にはいわゆる人類愛という愛の形があります。自分という人間を愛しているから,同胞としての他人を愛することができます。逆に言えば,自分を愛することができないと,他者を同胞と認めて愛することはできないでしょう。自分を愛することで,お互いに愛し合える関係を生み出すことができ,よりよく生きることが可能になります。
愛は閉じこもるものではなく,開かれたものです。生きることも閉じこもることではなく,開かれたものです。もう一人の自分が自分を愛すと同時に,周りの人を同じように愛していくようにしたいですね。
・・・もう一人の自分は自分を愛すから,同じように周りの人も愛します。
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○どのように自分を愛せばいいのでしょうか?
愛は常に確かめていなければという宿命があるのかもしれません。自分の有り様をつい確かめてしまいます。その際,自分の揺れ動く感情が,どういう背景を持って揺れ動いているのかを,言葉にしていく作業が必要になります。なんとなくということではなく,言葉による確認手続きが大切です。
確認作業のもう一端は,自分の存在が他者から認められているように感じることです。誰かに具体的な称賛をしてもらわないと不安になったり,批判されるのを過度に恐れるようになったりすることがあります。確認が十分にできないと,批判を受けそうな場面を避けたり、自分のことを認めてくれるような仲のいい友人や家族とだけ一緒にいたりします。
最終的には自分のいい所とそうでない所を素直な気持ちで受け入れ,もう一人の自分が自分のことを受け入れることができるようになり,他者を本当の意味で愛せるようになることが目標となります。
・・・私を愛しているから,あなたを愛することができます。
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《自分を愛することとは,生きている存在を歓喜することです》
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たくさんの人が表現してきた著作や絵画などの文化財は,すべてが愛について書かれ描かれたものということができるでしょう。愛とは語り尽くせないほど大きく深く広いものということになります。この小文が,皆様方それぞれにご自分の愛について振り返っていただく機会になれば幸いです。
子育て羅針盤第42版は,今号で完結します。新年度に入っての次号からは第43版になります。42版はかなり長文でしたが,43版は短めにします。
新しい版のテーマですが,構成は従来の基本と変わりませんが,切り口を変えてみようと思っています。「モンテッソ−リの教師の心得12箇条」というものがあります。詳細は専門の書籍等を見ていただくことにして,このマガジンでは12箇条の条文のみを参考にして,親のための羅針盤として子育てのポイントを紐解いていきます。どうぞお楽しみに!
★落書き★
七つの海といわれます。すべて言えますか? 北太平洋,南太平洋,北大西洋,南大西洋,インド洋,北極海,南極海です。南北に分けてあります。これをまとめたのは,ジャングルブックの作者であるラドヤード・キップリングです。昔の7つの海は,地中海,アドリア海,黒海,カスピ海,紅海,ペルシャ湾,インド洋だったそうです。東洋では7つの海という概念はできなかったのでしょうか。ところで,日本海は入っていませんね。8つの海と言い始めましょうか?