*** 子育ち12章 ***
 

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「第 43-07 章」


『子育ちは モノの動きを 滑らかに』


【心得 43-07:子育て第7心得】

 ■子育て12心得■
『子育て第7心得』
〜親は取り扱い方を示しなさい〜

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 ○モンテッソーリ教育:No.2

 教具や物の取り扱い方を明快に正確に示しなさい。
 子どもに的確な援助をするために,教師は教具の使い方を繰り返し練習しなければならない。

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○人は道具を使うようになって,文明を作り上げてきました。手を使うようになって,脳の回路が発達をします。子どもは,ニギニギとハイハイによって手を使うことを始めます。やっとハイハイができるようになった娘がいます。パパの方へ嬉しそうにハイハイで移動してきます! パパは最高の笑顔で「あやの〜おいでぇ〜」と手を差し出していました。が、途中でお座りした娘にパパはがっくりです。聞いてみると、「リモコンに負けた…」。リモコンを手に遊んでる娘の顔は最高の笑顔だったそうです。道具への興味満々です。
      
 手づかみで物を掴んで口に入れていた幼子は,やがてスプーンや箸を使うことを覚えていきます。道具を使うことを学んでいきます。戸棚や箱は開くことを覚えて,意味も分からず開けて回ります。物を入れておくという機能は,片付けることを知ってから分かることになります。寒いときは服を着る,暑いときは脱ぎ捨てる,蛇口をひねると水が飲める,外に出るときは靴を履く,暮らしのすべてが道具を使うことで成り立っていることに馴染んでいかなければなりません。裸や裸足では暮らせないのです。

 食べ物は冷蔵庫に,手や顔を洗うときは洗面所で,お出かけの時は車や電車で,何かしらの映像や音はテレビという箱で・・・。モノはそれぞれに機能を持っていて,その機能に合わせて人が動かなければなりません。先ずはモノそれぞれが何をするものかを理解しなければなりません。一方で,自分がしたいことは何かを分からなければ,道具を選ぶことができません。絵を描きたいとき,必要な色鉛筆を探します。無ければ,どうすれば手に入るのか,その入手方法を知らなければなりません。それも使い方の一つです。

 子どもにとってもっとも身近な道具はオモチャやゲーム機などでしょう。それらのモノを子どもはすぐに使いこなします。扱っているうちに覚えるということです。オモチャ類はどう扱っても壊れないようになっているのでいいのですが,普通の道具や装置類は間違った使い方をすると危険であったり壊れたりします。使い方の手順などを覚えると,物事には段取りがあること,順序があるということを理解するようになります。こうすればこうなる,物事を論理的に考える素地が育っていきます。道具は論理によって組み上がっているのです。

 モノの使い方の応用を豊かにする訓練が大事です。イスは座る機能を持っていますが,踏み台にもなります。コップは飲むための道具ですが,一時的な花瓶の代用にもなります。そのような実用上の応用だけではなく,子どもの手に掛かるとあらゆるモノが遊び道具に変わります。本来の使い道を外れた転用の経験をしておけば,応用力を開発することができます。創造的な発想の種になったり,リサイクルやリユースにもつながっていきます。資源を大切にするためにも,モノを粗末にしないという使い方も身につける必要があります。

 自転車に乗るという使い方を身につけるためには,いくらかの練習が必要です。乗り始めてすぐには乗れません。なかなかうまく乗れませんが,諦めずに練習していると,ふいに乗れるときが訪れます。自転車の扱い方とだけ考えるのではなく,自分の身体の取り扱い方でもあるという側面も忘れてはいけません。箸を上手に使うことができなければ,手の運動を制御する脳の配線が不安定なままに据え置かれるかもしれません。子ども時代の全身の動きようは全身をつくる過程でもあるのです。頭と手足が別々に育っているのではありません。



 物の動き方や使い方には,目的があります。包丁の切れ味は,調理された素材の味を左右します。切れない包丁では,切り口が乱れて,味が損なわれるそうです。ただ切れればいいというものではありません。献立に合わせた皿を使うという工夫もあります。その先には,おいしく食べるという目的があります。道具やものを使うのはよりよく生きるという目的のためです。手段は目的に沿うということです。目的が邪であれば,手段も邪になります。そこには生き方という,人生の扱い方が関係してきます。

★落書き★

 ご飯をつぐ,ご飯を盛る,ご飯をよそう,普段どのようにおっしゃっていますか? 本来の言い方は,ご飯をよそうです。よそうは装うであり,ご飯に対する感謝の気持ちから生まれた言葉なのです。器にただ入れ込めばいいというのではなく,形美しく整えてあげる気持ちが添えられています。米粒を大事に扱うという気持ちがそうさせてきたのでしょう。ご飯をつぐという言い方では,この気持ちは表せませんね。「ご飯を装う」という言い方をして下さい。きっとご飯がおいしくなると思います。


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