*** 子育ち12章 ***
 

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「第 46-11 章」


『子育ちは してみて学び 繰り返し』


■有能化12秘訣■

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『有能化第11秘訣』

【学習力を育てよう】

●《問題》できない,足りないなどの状況と真正面から向き合う勇気がなければ,問題は具体化しません。できそうもないと端から諦めてしまえば,なんの問題もなくなってしまい,能力を育てる機会を失します。できなくていい,分からなくていいと考えるか,何とかできるようにならないかと考えるか,そこに育ちの分かれ道があります。幼い子どもでは,ただ単にしたいからという気持ちに押されて,意識しないまま問題に取り組んでいきます。大きくなって多少の知恵がつき始めると,易きに向く逃げの姿勢が出てきます。

●《試行》自転車に乗れるようになろうとすれば,とにかく乗ってみなければどうにもなりません。考えていても,乗れるようにはなりません。自転車に身を預ける技は,人が考えられる範囲を超えているからです。一般に物事は,実際にやってみなければ,どこまでできるのか,どれほどの不足があるのかが見えません。現実を確認することが,自分の問題を見定める基礎情報なのです。嫌われている試験は点数を競うものではなく,どこまでできたかを確認し,できなかったところを知る手段であり,学習行為なのです。

●《学習》見たことがないものは,あるということさえ知りません。知らないことは,知らないという自覚がありません。問題に直面して始めて,自らの無知に気付かされます。どういうことだろうと疑問を抱いたときから,学習が始まります。教えてもらうという他人任せではなく,学びたいという自分任せとなると,智慧の扉が開かれます。自分の能力の不足は,年長者と比較して始めて自覚できます。何を学ぶべきかは,先輩を見習うことから見えてきます。異年齢の関係が学習を促します。

●《集中》好きこそものの上手なれと言われます。好きなことをしていると,時間の経つのも忘れます。一心不乱に集中しているからです。同じことをしていても,ダラダラしているよりも,集中した方が身につきます。白けていたりだらしない振る舞いが嫌われるのは,意味のない時間つぶしでしかないからです。嫌々食べる食事が身にならないのと同じです。打ち込んでいる姿が美しいのは,その一瞬が育ちの瞬間だからです。溌剌とした子どもの姿,集中しているからですよね。

●《実行》知って分かったということで学習は終わりません。学習の後始末をしなければ終わりません。知ったこと,考えたこと,分かったことは,自ら実行できることが確認されたときに修了となります。定着化するということです。乗り物の中でお年寄りに席を譲るということを知っていても,そうしなければ学習を終えたとは言えません。万引きをしてはいけない分かっていても,捕まらなければいいと万引きするのも,修行が足りないということになります。実行できてこそ修行が終わります。



 現在社会は分業によって機能しています。生きるために必要なことは多様です。衣食住それぞれが高機能になるにつれて,一個人ですべてをまかなうことは不可能です。専門家に頼るというシステムを構築してきました。お互い様の助け合いです。絆という言葉がクローズアップされましたが,助け合っているという意識が薄れていたという反省が込められています。誰も独りでは生きていけないという自覚がなければ,社会人にはなれないということです。子どもの意識における社会化を忘れてはいけないのです。

★落書き★

 豆腐の絹ごしと木綿の違い? 濃いめの豆乳を型箱に入れ,凝固剤を加えてそのまま自然に固めて作ったものが絹ごしです。絹は使っていません。型箱に木綿の布を敷いて凝固剤を入れた豆乳を入れ,固まり始めたところで上に重しを置きます。木綿の跡が残るので見た目も木綿豆腐になります。重しで余分な水分を押し出しているので,カロリーもタンパク質も絹ごしよりも豊富ということです。今夜のメニューは麻婆豆腐だったりして?


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