*** 子育ち12章 ***
 

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「第 49-09 章」


『子育ちは 弱いからこそ 喜びが』


■子育ち12笑顔■

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『子育ち第9笑顔』

【慈しむ笑顔】

 人は弱さを持っています。弱さをどう受け止めるかで,人はさまざまな姿を示します。自分の弱さに逃げ込めば甘えになります。弱い自分を拒否すれば自棄になります。自分は弱くないと否定すれば自惚れになります。自分は弱いともう一人の自分が認めれば,人の弱さも素直に受け入れることができます。

 親が「こうあるべき」という理想を語ると,子どもは「そんなこと聞いてないよ」と割り引きします。親は一体何を求めているのでしょうか? このすれ違いを考えてみます。

 若者の自殺は大人には辛いものです。そこで悩みの原因を探ろうとします。いくつかの原因が不幸にも重なっています。原因を一つでも無くす努力が大切です。しかし,すべての原因を無くすことは殆ど不可能でしょう。他にもできることはないでしょうか?
 どの原因も必ずしも自殺に直結するわけではありません。同じ悩みを持っていても,死なないで生き抜いている人がいるはずです。死を思い止どまらせる何かがあるようです。生きる目的つまり生きる喜びが悩みに勝れば,死は選ばれないでしょう。

 私たちは若者に『生きる目的』を与えているか,もしかしたら生きるテクニックばかりを求めさせていないか,反省してみる必要があります。「お前の命,あなたの命は,学校の成績などとは比較にならないほど尊い」と言ってやりましょう。

 子どもは大人に魅力を感じていないようです。大人にはなりたくないと思っています。将来は今より良くはならないと悲観的で,育ちの行く末を回避し先送りしようとしています。一方,今現在は,子どもは親に期待をかけられています。もし期待に沿えないと,駄目な子と言われます。子どもはそんな親の勝手に押し潰され,駆り立てられるから疲れています。親というメーカーの希望を,子どもはずばり半額に割り引きしようとしています。子どもに求める前に,大人は子どもの心に残る生き方をしているか,問い直す必要があります。

 ネアカな中学1年生の妹をネクラな高校1年生の姉が殺すという事件がありました。ネクラでは生きていけないと追い詰められ,周りから存在を否定されたあげくの行動のようです。ネクラであって一向に構わないと徹底的にかばうのが家族の温かさでしょう。
 学校では「明るく元気な子」という目標が掲げられます。ネクラで弱い子は登校しづらくなります。弱くていい,弱いからこそ皆で生きていこうと学ぶのが学校です。学校は弱い子を強くする病院ではありません。弱さを素直に認知することから,発想を始めてみましょう。
 
 人への慈しみは,人の弱さに反応して現れます。強さには慈しみは向き合うことはありません。同じ向きになります。慈しみの背中に強さが寄り添っています。慈しむ笑顔が人の弱さを包み込み,安心を与えます。その慈しむ笑顔は,次の弱さに伝搬していきます。その連結が,今話題になっている絆になります。弱いという状況によって,生きることが直にあからさまになるから,それを感じ取って人は慈しみの情を呼び覚ますことができます。



 明るいという言葉は,未来という言葉に添えられます。明るい日と書いて,明日です。いじめを受けていると,明日は暗い日に思われてしまいます。明日が明るくなければ,生きていく気力が萎えてしまいます。明るさは,生きていく先が見えていることを意味しています。暗闇の中で,行く手に明かりが見えると,足を進めることができます。生きていく先が見えているとき,人は明るい笑顔になります。周りの人までも,明るくしてくれます。

★落書き★

 夫婦は元々は赤の他人です。では,黒の他人といった,違う色の他人がいるのでしょうか? 赤い顔をして怒鳴っている人は,顔が赤色になっています。ところで,赤という言葉には,「明るい,目立つ」という意味があり,そこから「すぐ目につくほど,はっきりしていること」という意味が備わってきました。赤の他人というのは,紛れもない他人,全くの他人,明らかな他人ということになります。赤恥も紛れもない恥ということになります。そういえば,真っ赤な嘘という言葉もありました。


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