*** 子育ち12章 ***
 

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「第 54-09 章」


『子育ちは 普通に生きる 喜びを』


■子育ち12活力■

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『子育ち第9活力』

【生命を感知できる:芸術鑑賞】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の方位構成となります。
 この版では,「生きる力の育成を目指す教育内容・目標の構造」という提言の中で例示されている項目を参考にしつつ,子育て羅針盤の視点から考えてみることにします。

《生命を感知できる》
 ある調査で,子どもたちに「生きている喜びを感じるときはどんなとき?」と尋ねたら,「美味しいものを食べたとき,お風呂に入ったとき,寝るとき,空気の良い所を散歩したとき」という答が返ってきたそうです。中年の大人の返事と間違えてしまいそうです。もっと子どもらしい返事があるのではと思いますが,現実には大人びた子どもたちが育っているということです。違和感を感じてしまうのは,安息が生きている喜びであるということは,子どもたちが生きていることに疲れているということが伺えるからです。
 生きている喜びとは,いのちを燃やす喜びであるはずです。美味しいものを食べるのではなく,ものを美味しく食べることです。寸暇を惜しんで没頭するとき,安息は必要ですが,決して喜びではありません。寝るときにあくる朝起きるのが楽しみであるときに人は幸せであるといわれます。寝るときではなく,起きるときに生きる喜びを感じるべきなのです。子どもたちが生きることを苦にしているようでとても気がかりです。大人は生きる営みである仕事や家事を嫌々していると思わせないようにしなければなりません。

《芸術鑑賞》
 リンカーンの言葉です。「神様はきっと凡人を愛しておられるに違いない。だから,神様は凡人をたくさん作っておられるんだ」。普通ではないのは異常であり,あまり歓迎されません。そこで,偏差値が普通以上の者は異常なのですが,どういうわけか異常になりたいと思われているようです。ところで,異常な人になったら,人に好かれるかどうか分かりません。ここで,人の感じ方を再確認しておきましょう。人の感覚は危険や激変に対処するために異常なものに反応し,普通なものには反応しないようになっています。
 人は自分の存在を感じるために,人との違いを見ようとします。それが個性というわけです。子どもも,「世の中の役に立つ人間になりなさい」という努力目標が課されます。役に立ち方という物差しで普通でなく秀でることが評価・査定になります。そうとは意識されずに,人間がランク付けされていきます。皆と同じ平凡な自分は目立たないので安心ではあるのですが,自分らしさがなくて物足りなくなります。芸術の中にある普通と異常のバランスを感じる経験により,生き方のバランス感覚を保つようにしましょう。



 幼い子どもが母親の後を追いかけるように歩いています。幼児が脇に気を取られてペースを落とし,気付かない母親がちょっと離れていきました。気付いた幼児が一所懸命に後追いをします。もしも,母子の距離がかなり離れてしまうと,幼児は後追いせずに座り込んで泣き出すはずです。子どもには「やれそう」と判断する距離・範囲があります。ちょっと頑張っても追いつかないとなると,諦めてお手上げとなります。親は子どもができると思う可能性の範囲を見極めて,頑張らせることが不可欠です。

★落書き★

 人間の身体は,目覚めているときは交感神経の働きで血管が収縮しており,眠っているときは交感神経が働かないので血管は開いています。血管が開くと放熱が始まって手足は温かくなります。手足は普段は外気に触れているので,体温は低くなっています。ところが,眠くなると簡単に分かるほど温かくなります。そこで,赤ん坊や子どもの手足に触ってみると,眠いことがすぐに分かります。だっこしていると,赤ん坊が温かくなって眠っていくのは,ごく自然なことなのです。

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