*** 子育ち12章 ***
 

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「第 55-02 章」


『子育ちは 人と関わり 人となる』


■子育ち12定義■

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『子育ち第2定義』

【子育ちは,他者との関係を通して導かれていくものである】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の方位構成となります。
 この版では,子育ち,子どもが育つということを,12の定義として体系的に表現していきます。子育ち12定義は子育ちの全体を12の視点から理解できるように組み立てられています。この12定義を理解することによって,世にあふれている子育て論のそれぞれが,どの定義に連なるものかという位置づけが納得できるはずです。

《誰と育つのか?》
 視聴覚を偏重するとき,もう一人の子どもは肥満化します。夢や空想の世界では何でもできるので,もう一人の自分は万能であると錯覚します。ところで,かつて3K(きつい,汚い,危険)といわれた世界は,触覚の世界,手足の世界であり,そこにいる自分は限られた力しか持てません。「もう一人の自分」が「できない自分」を拒否して,自己否定をすると,自暴自棄になったり,自閉するようになります。「もう一人の自分」が「自分」を逃避させるために他者否定すると,責任転嫁,反社会的行動を起こすようになります。
 自立するとは,もう一人の自分が自分をあるがままに受入れ,折り合いを付けていくことです。きついな,面倒だな,恐いな,嫌だな,しなくても,と思う自分に対して,「自分に出来ることはしよう」と,もう一人の自分が出張って,自分を励ますことです。人に言われてするのではなく,もう一人の自分が決めて実行することが大事です。

 1年生の作文です。「ゆうべ,かさをかぶってべんじょのちりがみをかいにいきました。かいちゅうでんとうをつけていきました。あめにぬれるのでだっこしました」。自分の行動を言葉で説明しているのが,もう一人の自分です。"あめにぬれるので"と言っていますが,主語は「ちり紙が」です。この「ちり紙が・・・」という言い方は,第三者的視点を持つもう一人の自分のものの言い方です。ちり紙と自分の関係を客観視できる力が育っています。自分以外を主語にして話すことが,人としての産声になります。
 周りのあらゆるものを主語にしていると,「わたしが」という主語以外にたくさんあることに気がつきます。私という存在は,たくさんの存在の中にあると了解できます。お母さんが,お父さんが,弟が、友達が,先生が,おじちゃんが,犬が,花が,風が,空が,・・・。たくさんの主語となる存在と自分との関係を意識するとき,社会性という資質が出来上がっていきます。子どもには自分のことを名前で呼ぶ時期がありますが,名前は他人から呼ばれるときに使うものであり,もう一人の自分が他者になっているのです。

 社会性が身についていない子どもは,わがままであり,自分さえ意識に閉じこもっています。身障者トイレに放火したり、やたらポイ捨てをしたり,自転車を盗んでいきます。自分と人間社会との調和が図れません。自分の周りにある社会には自分と同等な人間がいるという認識が実感を伴わないのです。自分と他者をつないで見ることのできるもう一人の自分が未成熟なのです。無免許や居眠り,飲酒運転が怖いのと同じように,もう一人の自分がまともに自制していない自分は迷惑な存在となります。
 親が望む子ども像の上位に,思いやりのある子どもがいます。思いやり,それは相手の身になって考えるということですが,それを考えるのはもう一人の自分です。もう一人の自分が自分から離れて相手の位置に移動するのです。自分と他人を同じ人間と「もう一人の自分」が納得するからできることです。他人の思いを察することが出来るのは,もう一人の自分であり,自分と他人を共に生かすために自分に出来ることを,もう一人の自分が考えます。ちり紙さんが濡れないようにだっこする,そこに在るのが思いやりです。



《何処で育つのか?》
 リビングが食堂になっていませんか? 一緒に過ごしていますか? 寝食を共にしていますか? ホテルに宿泊している人たちは,寝食を共にしています。でも,お互いにマナーを守る以上のつながりはありません。家族のそれぞれが自分だけの閉じた世界を持っていると,カプセル人間として孤立していきます。子どもは勉強だけしていればいい,生活の手伝いなど余計なことはしなくていい,それは家族として共に生きていることにはなりません。だから,心の平穏はないのです。余計なことで関わり合うから,落ち着くのです。

★落書き★

 前号に続いて,心臓のことです。心臓を左胸にあると思ってはいませんか? 心臓は胸の中央にあります。心肺蘇生の心臓マッサージは胸の中央を強く押します。どうして左胸と思われているのでしょうか? 心臓の下の尖った部分が左乳の近くに出っ張っていて,身体の表面に近く,鼓動がよく伝わるためです。ところで,一回の拍動で押し出される血液量は80ミリリットル(コーヒーカップ1杯分),一日あたり8000リットル(ドラム缶40本分),一生80年で大型タンカー1隻分ということです。


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