*** 子育ち12章 ***
 

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「第 55-09 章」


『子育ちは 力呼び込む 喜びが』


■子育ち12定義■

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『子育ち第9定義』

【子育ちは,今日の自分に経験を少し積み上げるものである】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の方位構成となります。
 この版では,子育ち,子どもが育つということを,12の定義として体系的に表現していきます。子育ち12定義は子育ちの全体を12の視点から理解できるように組み立てられています。この12定義を理解することによって,世にあふれている子育て論のそれぞれが,どの定義に連なるものかという位置づけが納得できるはずです。

《何故育つのか?》
 子どもは弱い存在です。その弱さ,そのものは決してマイナスの価値ではありません。弱いからと弱さに逃避すれば甘え,弱くないと弱さを否定すれば自惚れ,弱いのは嫌と弱さを拒否すれば自棄になり,結果として自我分離,もう一人の自分が自分と不仲になります。今は弱くてよいと弱さを認知してこそ,明日への希望が芽生えます。弱さは育ちの芽なのです。もちろん,弱さを自覚できないと,他人の弱さも認めることができません。弱さの自覚は人への優しさとつながっています。
 保育園に自閉症の子どもが入園して,良くなって卒園していきました。先生は教育者として生き甲斐を感じていました。その後,全盲の子が入園してきましたが,どうしても直りません。自閉症の子を直すのが教育であるなら,目の見えない子の目を見えるようにするのが教育となるのでしょうか? 教育とは,目の見えないままで幸福にしてあげることです。教育は人格改造,そう思いこんでいないでしょうか? 教育は弱者のためにあるのですが,教育自身の弱点を自覚することから始まるものです。
 教育は欠点を治し,医術は悪いところを治してくれます。教育は悪いところを正すのではなく,正常をより大きく,より良いものに伸長することです。学校が病院になってないか,悪いところを見つけようとしていないか,問い直すことが必要です。どこが「悪いか」ではなく,どこが「欠けて」いたかを教えることで,教育に期待が取り戻せます。
 ビールの味利きをする際に,まず空腹であること,味覚を鋭くするため,また,ビールの合間に食パン,フランスパンを食べて味を戻すことをします。今の自分に不足していることを前提として,自分の感性を欲望から解き放つように,素直な状態を親子ともに保ちたいものです。

 養育は,願いに向かいます。将来何になりたいと,子どもに尋ねることがあります。将来でなくても,子どもはしたいことがたくさんあります。もう一人の子どもの頭では,何でもできています。しかし,子ども自身の現状では能力が育っていません。できることはまだ未熟です。できるようになるかもしれないという可能性に育ちの願いが寄せられます。こうすればこうなるという教育の道理は,可能性の実現を目指します。しかし,そこにはなお不確定が残っています。同じ教育を受けても,人によって差が出てくるのはそのためです。その不確定な部分はやってみれば分かる部分と,やっても分からない運のような部分があります。教育という挑戦は,努力の積み重ねしか残されていないのです。努力すれば誰もがイチローや真央ちゃんに必ずなれるわけではないのですが,別の素晴らしい何者かになることができるのです。別の何者か,それを運が決めるのです。

 挑戦とは苦労なものです。その苦労について三原則があります。
  (1)苦労の量は喜びの量に等しい
  (2)納得のいかない苦労ほど自分を鍛える
  (3)自分のための苦労は身につかないが,人のためにする苦労は身につく
 勉強してよい会社に就職したいという苦労は人を育てませんが,勉強して親を助けたいという苦労は人を育ててくれます。今の豊かな社会では,そういう気持ちを持つことがないでしょう。勉強したことを家族の暮らしに役に立たせることができるというフォローをしてやることが,子どもの勉強の苦労を生かすことになります。試験のため,競争のための苦労はし甲斐がないでしょう。



《何故育つのか?》
 試験では育てられないことがあります。試験の現状を整理してみましょう。
  (1)問題が出てから答えればよい(問題意識を持つ必要がない)
  (2)答の無い問題は出ない(答があるから安心して取組める)
  (3)易しい問題から解きに掛かる(10問中8問:残りが難問!)
 試験に欠けているのは,チャレンジです。答があるかどうかも分からない,やってみなければ分らないこと,それが本当の問題です。世の中には答のない問題だらけです。それをどのように近似的な落としどころまでたどり着かせることができるか,苦労をすることになります。世間は不条理なのです。

★落書き★

 フナ等の川魚を釣るときにミミズを餌にします。川の中にいる魚の身になって考えると,土の中に済んでいるミミズを食べることができると,どうして知っているのか不思議です。実は,増水して土砂が崩れると土中のミミズなどが川に流されてくるので,魚には馴染みの餌になっています。また,川は狭くて魚同士の餌の取り合いが激しく,食べられそうな餌のようなものを見つけたら即座に食べなくては生き残れません。手当たり次第という食い意地が川魚の習性なのだそうです。


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