*** 子育ち12章 ***
 

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「第 58-07 章」


『子育ちは 生きる権利に 導かれ』


■子育ち12考察■

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『子育ち第7考察』

【権利・自由】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。

《権利・自由とは?》
 権利と自由はそれぞれ次元を異にする言葉です。それでも,権利を守る,自由を守る,権利を主張する,自由を主張する,のように,共に似た扱いをされます。人は自由であるという権利を持っているとつなげば,関連が出てきます。暮らしの中で,人が生きていく上で拠り所にする価値基準があります。個人の尊厳を想定し,個人の自由を優先しようという了解がなされています。その了解を保証する仕組みとして,権利という概念を創造しました。権利は侵されないのです。

 どのようなことをどのようにしようと,それは個人の自由の権利に任されています。自分の願いを実現するために,もう一人の自分が考えたり,しようとしたりすることは,一般には誰の許しも入りません。このような自由な社会の中で育っていく子どもたちも,自由に考え行動することが当たり前になっていきます。ただ,子どもについてはすべてに自由というわけにはいかず,親の許しという危険回避の手順も,それなりに必要となります。自由には責任が伴っているからです。

 ありのままでいい。その言葉が流行りました。子どもを自由にしていいと解放すると,何をどうしてよいか分からず,迷いの中に立ち止まるようです。自分が何をすればいいのか,したいのか,もうひとりの子どもが分かっていないということです。なんとなくしようと思っても,それでいいのかという確信もありません。そのような子どもたちが,ありのままでいいという言葉に,背中を押して貰えるような感じを得たのでしょう。自由であること,そういう権利があるということ,その生きていく基準を学んでいきます。



 権利を主張するという行為は,大方の人には好まれていないようです。いわゆる,モンスターと呼ばれる人が現れています。子育ての世界では,モンスターペアレントが注目されましたが,モンスターペイシェントなど,各方面に拡大しています。権利の理解が不適当なためですが,権利という考え方それ自体が日本的な体質とは対立するようです。私たちの馴染んだ価値基準として,別のものが用いられているということです。権利をことさらに主張しなければならないような社会は,日本の社会ではないということです。

★落書き★

 お茶碗やお箸は,家族それぞれに決まっている家庭が多いことでしょう。お父さんのお茶碗が大きめで,お母さんのが小ぶりだったりします。幼い兄弟の茶碗は同じ大きさでも絵柄が違ったりします。自分専用の食器に拘るのは,昔,お米などの穀物を神聖なものと考えて,掌にのせて神への感謝を示して食べていた名残です。やがて掌は葉っぱになり,食器になりましたが,自分の食器にのせて,唾液が他人と混じらないようにしたといわれています。ご飯は主食だから特別なのです。味噌汁椀は共用です。


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