*** 子育ち12章 ***
 

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「第 58-08 章」


『子育ちは 共生の義務 納得し』


■子育ち12考察■

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『子育ち第8考察』

【義務・平等博愛】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。

《義務・平等博愛とは?》
 一人一人が持っている権利は,社会生活という人間関係の中で,衝突する必然を抱えます。欲しいカードがあったとして,数に限りがあれば,求める権利は競合し,くじ引きや早い者勝ちといった手法に従うしかありません。分配のルールを守るという義務が生じます。自分の権利を主張することは,同時に他者の権利を尊重するという義務を自分に向けることになります。義務といえば,何かしら他者から押しつけられるものといったニュアンスがありますが,実は自分の権利を守る自分の義務なのです。

 個人にとって,権利と義務はコインの裏表という分かちがたい価値となります。ところで,社会にとって,大切な価値とはどういうものでしょうか? それが平等と博愛です。人の生きる権利は平等に与えられるという了解,限られた成果に向かう競争への参加の機会の平等が保障されます。教育を受ける権利をすべての子どもが持っているので,大人は教育の機会を与える義務を負っているのです。ただし,成績は子どもの個人の努力に依りますので,同じとはなりません。結果の平等は社会の責任ではなく個人の責任です。

 自由であるという権利があるために,社会は結果の平等を強制することができません。全ての人に同じ財産を分配ということは,全ての人に不自由を強制しなければ達成できないからです。そこで,自由を前提とすれば,結果の不平等を招きます。社会としての安定を保持するために,博愛という価値の達成を目的として,格差を埋め合わせる仕組みを組み込むことになります。豊かさのお裾分けとも言える助け合いという渦を生み出します。自由が暴走する歯止めとして博愛を機能させる社会が人の幸せをもたらす社会です。



 生きている実感,生きていてよかった,生きる歓び,生きることへの感動,自分の命に触れ合う瞬間があります。大感激というほどではなくても,日々なんとなく感じることもできるでしょう。もちろん,感じようとしなければ,何も感じないことになります。なんとなく一日を過ごしていく,惰性で生きていると,自分の暮らしに張りがなくなっていくでしょう。元気がないな,そういう様子が見られたら,生きていることに気付かせる手助けをしましょう。働いてお腹を空かせて食事をすることです。

★落書き★

 神社の入口を守っているのは,狛犬です。姿は獅子の形で,そのルーツはスフィンクスだそうです。伝わってくる途中,インドで獅子になりました。日本には飛鳥時代に朝鮮半島の高麗から伝えられました。当時の日本人は獅子という動物を知らないので,犬のようだが日本の犬と姿が違うので戸惑いました。そこで,高麗をこまと呼んでいたことから,高麗の犬ということで「こま犬」と呼ぶようになりました。


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