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「第 58-12 章」 |
『子育ちは 先が見えたら 一歩ずつ』
■子育ち12考察■
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『子育ち第12考察』
【教育】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
《教育とは?》
前号予告で,教育とは新しい経験を与え続けることと書いておきました。教わる方のもう一人の子どもは,自分の可能性に気付かなければなりません。人にできることが何か,それは可能性を実現しているまわりの大人が見せてくれます。その大人たちを見倣う,見習うということで,子どもは自らの可能性を探すことになります。何が食べたいというときに、見本付きのメニューがなければ,決めようがありません。あれが食べたい,同じように,あれがしたいと育ちます。親がしているように育つのです。
何してるの? 子どもが尋ねます。大人が目の前でしていることは見えますが,その意味,していることがその後どうなっていくのかが分からないので,尋ねるのです。見ていることが何とどうつながっているのか,もう一人の子どもが関心を持ちます。その問に答えるときは,今していることはこうなると,結果を見せてやればいいのです。疑問に答えるということも教育だとすれば,教えるべきことは物事のつながり・顛末を見通すこと,予測,期待するという術です。断片的な知識の記憶ではなく,物事を見る方法なのです。
勉強しなければ合格しない。勉強すれば合格する。しかし,勉強しても合格するとは限らない? だから,勉強なんかしないと諦めていますか? こうすればこうなりますが,必ずそうなるかといえばそうでもないというところが,辛いところです。どのように願っている目標に自分の努力をつないでいけるか,その実現プロセスが,今の自分のやり方を反省し,先達の仕草を学習し,できるかもと挑戦することです。その繰り返しをひたすら継続する,それが自分を少しずつ変えていきます。練習の賜物とはそういうことです。
人と動物の違いは,見た目は2足歩行ですが,そのことによって,大きな脳を納めた重たい頭を支えることが可能になったことです。もし人が4足歩行したとしたら,頭の重さが身体の重心から外れるので,とても頭の重さを支えていられないことでしょう。大きな脳は,とても精巧なコンピューターです。情報社会の中で,人は脳を使わなくなりました。他人のいいなりになっています。自分で考えるという最も大事な機能を封じ込めています。批判するだけの物言いしかできないのがその証です。人の可能性を伸ばしましょう。
★落書き★
かまぼこをサラダに入れると,かまぼこが固くなります。かまぼこの落ち度ではありません。かまぼこの原料はスケソウダラやイシモチ,ハモなどの魚のすり身で動物性タンパク質です。しめ鯖や酢だこで経験するように,酢に漬けると身が締まります。サラダのマヨネーズやドレッシングには酢が含まれているので,かまぼこは身を締まらされてしまうのです。こんなワタシに誰がした? 食品も相性があるので,気配りをしてあげて下さい。
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