*** 子育ち12章 ***
 

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「第 59-08 章」


『子育ちは 違いあるから 和やかに』


■子育ち12省察■

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『子育ち第8省察』

【和】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。

《和とは?》
 和とは,それぞれお互い様であることです。まず,和が求められる訳を明らかにしておきます。聖徳太子による17条憲法に,「和を以て貴しとなす」とあることが有名です。仲良くすることがいいということで,子どもにも分かることと思われているようですが,実際にはもっと厳しいものです。人は違っています。特に聖徳太子の時代には,いわゆるインテリ層は外国からの帰化人でした。そのような違った人と和を結ぶことは喫緊の大事であったのです。同じ人の和ではなく,違った人の和,それが貴い和なのです。

 人は自分らしさという個性を大事にしようとします。それは時にはわがままにもなります。一人で生きているのならそれも構いませんが,社会生活をするのであれば,無制限の個性化はあり得ません。それぞれ違っている人が多少の譲り合いを覚悟し,お互いの個性化を目指すという納得が成り立つようにすべきです。それがお互い様という和になります。違いは違いとして認めながらも,お互いに共有できる社会を作っていく,それが社会の進化です。

 お互いの違いを言い立てたり,拒否するところで止まれば,それはハラスメント,いじめになります。最近はセクハラ,モラハラなどハラスメントの広がりがありますが,子どもたちのいじめはクラスハラスメントと言ってもいいでしょう(スクールハラスメントは別の意味で使用済みのようです)。違いはそれぞれの個性と認め,その上で同じであるところを意識化して和と認識する能力,それが安心な社会を自ら創り出す方策です。同級生の間での差違は,年長の者からは些細なものに見做される,そういう大きな社会を子どもに与えてやりましょう。



 講義をしていると,きちんと目を向けてくる学生と,眠って聞くことを拒んでいるような学生に出会います。いわゆるやる気があるかないかという態度によって,すべての育ちの程度に差が出てきます。やる気の素は何でしょう。例えば,学習に関しては,分かる喜びを知っているかどうか,それがやる気の有無になります。生きる歓びといわれます。それを子どもに持たせることが大切ですが,どうすればいいのでしょう。思い通りにさせておくことでしょうか?

★落書き★

 明治以来,洋服,洋風の髪型,机と椅子など,西欧の生活文化が取り入れられてきました。ところが,あいさつは変わっていません。握手という習慣は,特別なセレモニーとしての他は,全く日常には入ってきませんでした。握手は無防備であることを直接に確認し合う仕草であり,心を開くあいさつです。しかし,日本人は相手に自分の思いを直接に伝えるのが苦手で,最初は少し距離を取って頭を下げ合うお辞儀の方が安心なのです。付き合ううちに徐々に間を詰めていくようになります。


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