*** 子育ち12章 ***
 

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「第 59-13 章」


『子育ちは 一生かけて 生きていく』


■子育ち12省察■

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『子育ち第13省察』

【生】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。

《生とは?》
 生という漢字は,土から出た草木の芽が伸びた形から来ているそうです。生きるとは育っていくことになります。大人になったから育ち終わったというのでは,生きていないことになるかもしれません。親になれば,子育てという苦労を味わいながら,親としての育ちを生きていくことになります。社会的な役割を担うようになると,役割にふさわしい育ちが求められ,否応なく生かされていくことになります。生きている実感,それは自分が育っていることを意識できるときに味わうことができます。

 田んぼに水が入ると,カエルが目覚めたように鳴き始めます。あぜ道を子どもたちが手に容器を持って行き交います。オタマジャクシやヤゴを捕まえています。虫たちが生きている世界に関わりたくなる本能のままです。手の中に乗せたものを見せながら,「おじちゃんこれ何?」と尋ねてきます。ヤゴだよ教えてやると,満足したようにうなずき,トンボになるんだから帰してやろうと,田んぼに放しています。生きているもの同士の共感を体験して,育っていく自分の命に気がついています。

 つい最近の報道に,子どもの声が騒音,幼稚園の建設反対というものがありました。少子化で学校が消えるとき,その地域の将来も消えていると感じられますが,その思いは今風ではないのでしょうか。子どもの声が忌避すべきものであるとする考え方には,生きていることの意味が欠落していると思われてなりません。子どもが好きでないからということも少子化の要因の一つになっています。自分が子どもであったことを後悔しているのでしょうか? 生きている命を喜ぶ育ちをしてこなかったのでしょうか?



 毎年のことですが,10月から11月にかけて,全国の小中学生全員に法務局から「SOSミニレター」という文書が学校経由で手渡されるはずです。もしも昨年受け取っていないとしたら,学校が配布をしていないことになります。SOSミニレターは便せんと封書が作れるようになっており,相談を書いてポストに投函すれば,切手不要で地元の県法務局に届くようになっており,人権擁護委員が秘密厳守で必ず返信をしてくれます。子どもの安心のために相談を見守ってやってください。

 今号で子育て羅針盤第59版が終わります。次号から第60版に入りますが,少し趣を変えてお届けします。育ちの道の選択肢として,良い道と悪い道を交互にしたセットにします。道を間違えないためには,悪い道も見えていなければ避けることができません。こっちの道は良くないよ,そういう話を取り込んでみようと思っています。そこで,12章の流れは,私の育ちの項では良い選択を,私たちの育ちの項では悪い育ちを考えてみます。

★落書き★

 朝のあいさつ,英語ではグッドモーニングです。もともと「あなたに良い朝を祈る」という意味で,宗教的な意味から生まれた言葉です。一方で日本語では,おはようございます。これは宗教とは関係がなく,農業民族であった生活習慣から生まれた言葉のようです。お天道様とともに働き始めるのが農家の仕事で,朝は早いのが当たり前でした。お天道様が登りはじめた時分に田畑でご近所と顔を合わせ「早くから精が出るのう」とねぎらいの言葉を掛け合うことが習慣でした。それが「お早う」になりました。


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