*** 子育ち12章 ***
 

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「第 60-03 章」


『子育ちは 人と触れ合い 温もりで』


■子育ち12明暗■

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『子育ち第3明暗』

【慈愛】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第60版では,私の育ちの項では良い選択を,私たちの育ちの項では悪い選択を考えてみます。

《慈愛とは?》
 慈愛とは,「自分の血を分けたものに対する愛情」と辞書にあります。慈父は深い愛情を持つ父,慈母は情け深く優しい母です。愛にもいろいろあるようで,溺愛は子どもに向けては不適切です。そのわけは,愛を受け止める子どもの事情を斟酌していないからです。慈しむとは,子どもの育ちの実情を見極め,寄り添い,今必要なもの・ことを支援することで過不足のないつながりを保持することです。子どもなりの自立性を大切にする心構えで向き合うときに,慈愛が発揮されます。

 人と人とが共生するために交わすのが愛情です。夫婦愛,隣人愛は,愛をお互いに感じているから,機能しています。でも,愛を感じなくなると,破綻します。自己愛に萎縮するからです。親子愛は不滅のように思われてきましたが,現在の殺人事件の半数以上が肉親の間で起こっていることを冷静に受け止めなければなりません。他者と共に生きるという意識が後退すると同時に自己愛の肥大化が蔓延しつつあるようです。社会性のレベルではなく,家族関係の希薄化に歯止めをかけるために,慈愛を子どもたちに!

 触れ合いということは,肌と肌が触れあうことです。身ぎれいに清潔にという傾向が進んでいる今,人と肌を触れ合うことは忌避されています。ペットとは触れ合えるのに,人とは触れ合えないというのは,どこか間違っています。いじめにも,あなたが触ったものは汚いという差別発言があります。お父さんの触ったものは汚い,ということが言われていたこともあります。さみしさを癒やす慈愛は,そっと抱きしめることです。人とのつながりを実感できるのは触れ合いが一番ですが,それを拒否したら心は壊れるだけです。



 岩手県の中学2年生の男子生徒が,いじめに追い詰められて命を絶ちました。いじめられているのを知っていて何も関わらなかった同級生は,今何を感じているのでしょう。担任の先生や校長などがなんとかしてやれなかったのかという声は聞こえてきますが,いじめられていた子どものまわりにはたくさんのクラスメートがいたはずです。そばにいる友達の難儀を見過ごしにする薄情さを育てている現在の世間のありようが猛省されるべきです。いじめをなくすためには,慈愛を持つ子どもを育てることです。

★落書き★

 1階,2階,3階,4階,・・7階・・・。どう読まれましたか? いっかい,にかい,さんかい,よんかい,・・ななかい。4階=しかい?(し=死?) 7階=しちかい?(いちかいと聞き間違いが)。2=に,3=さん,は漢語の発音ですが,4=よん,7=なな,は「和語」になります。ところで,3階=さんがい,と濁るのが正しいということを知っていましたか。日本語では「ん」の後は濁ることが多いのだそうです。神社や万歳も「ん」の後が濁っています。4階=しかいが元の読みなので,よんかいと濁りません。


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