*** 子育ち12章 ***
 

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「第 6-07 章」


『うるさいと 思う用事が 人結ぶ』


 ■はじめに

 クローンという新技術があちこちで研究されているようです。巷間ではクローン人間という超新人類が話の中に語られることがあります。自分と全く同じ人間が現れることに戸惑いや不気味さが感じられ,生命倫理という何かしらよくは分からない言葉もできてきました。

 人はこれまで双子という自然の采配を経験してきましたが,かつては何かしら不自然さを感じ忌避してきた時もありました。時代は繰り返すという歴史の法則が適用されるなら,長い時の流れを経た後に,クローン人間も認知されるのかもしれません。もっともそれを目にすることはないでしょう。

 ところで,クローン人間は自分と全く同じ人間というのは,少し違うと思われます。確かに見た目は全く同じかもしれません。何しろ素材が同じなのですから。しかし,育ちの中で違いが生じてくるはずです。育ちは外界から新しい素材を取り込むことだからです。体型の太めとか細めが現れるでしょう。さらに,人格はもう一人の自分ですから,別々の育ちの中では違ってきます。

 人となりは生まれつきだけではありません。もしもよその家庭に生まれたら,今の自分とは違った自分になったはずです。人は育った環境に合わせて育っていきます。同じ兄弟でも違ってくるのは,育ちの環境が異なっているからです。だからこそ育ての責任が大きいのです。



【質問6-07:あなたのお子さんは,うるさい用事をしていますか?】

 《「うるさい用事」という意味について,説明が必要ですね!》


 〇何がつき合いから得られるのでしょうか?

 おつきあいというものは,どこにもついて回ります。パパには会社での得意先や同僚とのつきあいがあります。ママにはご近所や仲良しグループでのつきあいがあります。子どもにはクラスや塾でのつきあいがあります。楽しさ半分煩わしさ半分といったところでしょうか?

 このつきあいが重なると荒れ模様が訪れます。どちらを優先させるかという問題です。家庭でのつきあいよりも会社でのつきあいを優先させるパパは家庭では評価が下がりますが,会社ではそつなく人間関係を維持できます。逆になれば,逆の結果を招きます。円滑な人間関係を保つためには,一緒に過ごすことが必須です。

 つきあいをするには手間暇が奪われますが,一体何を得ようとしているのでしょうか? 「つきあいだから」という言い方は,できることなら避けたいという気持ちがあります。果たして損なことなのでしょうか? 義理チョコという代物は,どんな見返りがあるのでしょう。

 人の暮らしはお互いに助け合うというパターンで成り立っています。個人としては少しだけ損を被ります。みんなの損した分が集まって社会資産になり,そこから人は必要なものを手に入れています。いわゆる恩恵を受けるということです。互助性と互恵性は表裏一体なのです。

 つきあいとは,その社会との紐帯にあたります。つきあいを通して社会とつながっていけます。つきあいをしないと損をしない代わりに,得も望めなくなります。「情けは人のためならず」,社会とのつながりが巡り巡って,終いには自分に情けが戻って来るのです。義理チョコを貰った人は,何かの形で後から自分のためになる物や事を返そうとしてくれます。がめつく生きませんか?

・・・つきあいとは,思わぬ恩恵を得るための確かな投資です。・・・


 〇うるさい?

 机の整理をしない子どもにママはついイラツキ,無断で片づけてしまいます。子どもは何がどこにあるか分からなくなります。「どうして勝手に片づけたの」と,ママを責めます。ママも負けてはいません。「文句を言うなら,自分でちゃんと片づけなさい」。

 面倒なのでしたくないけど,しなければならないとか,した方がよいことはうるさい用事です。ママがしなさいと命じれば,ママをうるさいなと思うようになります。ママは損ですよね。たとえ自分のためではあっても面倒だと思ってしまうのは無理もないことでしょう。人は怠惰が好きなのですから。それでも,いわゆる人間らしいといわれる生活をするためには,それなりの作法が付随します。

 しなければならないことをしているときに余計な用事が重なると,うるさいと感じます。ママが朝の出がけにあたふたとしているときに,子どもがまだ用意ができていないと,手伝いながらうるさいと思います。ましてや,したいことをしているときに割り込んでくる用事もうるさい用事です。せっかくのくつろぎの時間に,子どもが飲み物をひっくり返し,ママのご機嫌は急転直下です。なんてうるさい子なんだろうね。

 楽しく遊んでいる子どもに,うっかりママが買い忘れのお使いを頼みます。「ママは今ちょっと手が離せないから,ちょっと行って来てちょうだい」。ぶつくさ言いながらも,仕方がないと渋々出かけます。「さっさと行きなさい」。こうして子どもを暮らしに否応なく巻き込んでいれば,やがて暮らしのペースが身に付いていきます。ただし,ママは後できちんと「ありがとう」と言ってくださいね。

 自分のことではなくてママのために手を貸すことに馴染んでいけば,うるさいと思っていたことが,ママに喜んでもらえることで,楽しいものに変わっていきます。子どもが面倒だとかうるさいと思っただろうねと分かれば,その気持ちを押して手伝ってくれたことにありがとうが素直に言えるはずです。

・・・うるさい用事をこともなくやってのけたとき,喜びが得られます。・・・


 〇後片付け?

 休みになるとママが旅行に行きたがります。上げ膳据え膳が楽しみだからです。日々の暮らしでは料理はまだしも,汚れ物の後かたづけが苦になります。休みの日はそれが格段に増えるのですから,憂鬱になります。特に長期の夏休みになると,お盆休みぐらいしたいと実家に帰って骨休めです。

 人のだらしなさとは,始末をつけられないことです。やりっ放しということです。ママが一番切れるパパのだらしなさは,産ませるだけ産ませておいて,育てるという後のフォローをしないやりっ放しです。(済みません,ちょっと品のない言い方ですね)。

 暮らしの基本は毎日繰り返すということです。同じ箸や茶碗を明日も使うことです。始末という言葉はうまくできていて,始まれば末が来て,次に始まりがつながります。始末始末・・・と限りなくつながるのです。

 道の真ん中におもちゃや自転車を放り出して遊んでいる子どもがいます。子どもは後先を考えずに,思いついたままに動きます。車が通りかかって一時停車しても,何してるの?という顔をしています。車の立場になって考えるということはもう一人の子どもにしかできないことですが,まだ十分に育っていません。子どもに限らず,空き缶やゴミのポイ捨て,ペットの糞公害など,社会の迷惑はほとんどが始末しないだらしなさです。

 後片付けをうるさい用事と感じている間は,物事を客観的に考えて次への準備を済まそうとするもう一人の自分が居眠りをしています。準備は終えたと言えるとき,始末をつけたという爽やかさが味わえます。日常の行動を一つ一つけりをつけていくことが,生き生きと暮らせる姿になります。子どもにその癖をつけさせれば,もう一人の子どもはすくすくと育っていくはずです。

・・・面倒でも後片付けをすることが,生きている試金石です。・・・


 〇品揃え?

 「ママー,ティッシュが無いよ!」,「ママ,ハンカチはどこ?」。あれがない,これがない,と毎日が大変です。言う方は楽ですが,言われる方はたまりません。自分のことは自分で面倒見て欲しいですね。「私がいないと,みんなダメなんだから」と愚痴りながらも,頼られることに存在感を感じているのかもしれません。

 ものを揃えておくには,品物の流れを把握した上で,在庫管理と仕入れの細かな気配りが必要です。財布を預かっているママの責任になっていますが,少しばかり暮らしの構造改革をする必要があります。例えば,ティッシュが残り少なくなったら,使っている者が分かるはずなので,その都度ママに報告するようにしつけます。トイレのペーパーが無くなりそうなら,新しいものを必ず補充しておくように約束します。

 生活のことをママが一手に引き受けていると,子どもはいつまでも生きるということの実際を知らないままに育ってしまいます。甘えていると言えば親の過保護になりますが,これは一見過保護に見えて,実のところは育ちを奪う放任なのです。

 自分には何が要りようなのか,どうすればそれを手に入れられるのか,そんな気働きをすることがもう一人の自分の頭の訓練にもなります。毎日の暮らしから逃れてボォッーと過ごしていては,無駄な時間を費やすだけです。こうすればこうなる,こうしておけば大丈夫,そんな因果関係を見通す思考回路が日常の中でできあがり活発に機能していれば,子どもには自然に利発さが備わります。

 夜寝る前に明日必要なものを揃えておくという習慣は,子どもにはとても有効な学びの時です。予測をたてる力は考える力なのです。何も考えていないと行き当たりばったりになりますよね。それほど勉強しなくても頭のよい子がいますが,そんな子は毎日自分で生きていくことから知らないうちに学んでいるのです。

・・・暮らしの中であれこれ考えさせることが,頭の育ちになります。・・・


 〇お客様?

 地域に子ども会ができているところもあるでしょう。学校週五日制が4月から実施されることも,一つの追い風になっています。体験の場を与える機会としても,利用できます。ボーイスカウトやガールスカウトのような組織,スポーツクラブや趣味の会などのように限定された目的を持つ集団もあります。

 何かの組織に加入すると,たとえ好きで入っても,いろんな役回りがついてきます。それが嫌で何の組織にも属さないという傾向が強まっています。塾やお稽古事に通っている子どもは増えていますが,それはどちらも子どもがお客さんです。つまり,もてなされるので,余計な雑用は一切ありません。

 家庭でも学校でも塾でも,子どもがお勉強さえしてくれていれば,親は一安心といった風情があります。ちょっと皮肉を言えば,お勉強童子が座敷に鎮座ましましています。何にもできない赤ん坊のままに置き去りにされているのと同じです。いつまでも誰かに面倒を見て貰わないと生きられなくなります。極端に聞こえるでしょうが,大勢はかなり傾いています。

 雑用と呼ばれるものの中身を落ち着いて考えてみると,それは自分のためにはならないことです。例えば,食べた食器を用なしです。着替えた服もとりあえずは用済みです。集会の会場の準備や片づけも参加者には関係ありません。競技の運営も競技者には余計なことです。会社での雑用も担当以外の作業になります。PTAの活動もどうでもいいことに見えます。雑用はみんなのためにすることであり,気持ちとしては他人のためにすることです。

 雑用を逃げていたら,人のことは構う積もりはないと言いふらしているようなものです。やがて,誰も構ってくれなくなるでしょう。世間が冷たいと感じられたら,そのときはもうすでに手遅れ状態です。お客様は長居をすると逆さ箒で追い出されるのです。そんな子どもに育てたいですか?

・・・牛乳を飲む人より届ける人の方が健康になります。・・・


 〇専門家?

 「余計なことはしなくていいの」。ママは子どもを暮らしから隔離していませんか? 幼い頃は邪魔になるからとか危ないからといった理由で,大きくなれば勉強させるという別の理由からでしょう。いつの間にか,子どもは暮らしのことをうるさい用事だと思いこまされていきます。ママにはそんなつもりはないのでしょうが。

 子どもに手伝いをさせようとすると,「なんで私が?」と理由を問いつめてきます。道に落ちているゴミを片づけたらきれいになるのですが,誰も拾いません。「何で私が拾わなければならないのか?」の自問に,理由が見つからないからです。もっと正直に言えば,見つけようとしていないのでしょう。

 今様の考え方の根底には,専門家意識が根深くなっています。パパは稼ぐ専門家,ママはそれなりに稼ぐ人,財布を預かる人,使う人,子どもは遊ぶ人であり,学ぶ人といった具合です。子育てはママの仕事という古い専門家意識がまだ強く残っています。ママを子育てする人と思っているパパは,専門家の領域には踏み込もうとしません。「どうして,俺が子育てまでしなければならないのか?」と言うはずです。子どもは「何でママの仕事を手伝わなければならないのか?」と考えます。

 PTAや地域のお世話役についても,みんなで慣れた人に押しつけようとしますが,それも専門家にオンブしようという魂胆です。断るときの言い訳として「したことがないから」と言いますが,それは自分が専門家ではないと言っているつもりなのです。世間には何事も専門家でなければならないという共通理解があると感じているからです。

 専門家とは,○○する人です。自分は○○する人と限定しているから,他人の領分に不可侵です。専門家意識は人を切り分けていきます。ところが暮らしは専門家の手の及ばないことばかりです。誰の仕事であると限定できないことで成り立っています。私は○○する人と思っていたら,共同生活は不可能になります。つまり,人のつながりが冷たい契約関係に成り下がるのです。家事を分担するという契約が結ばれる家庭は,形ばかりの家庭なのです。

・・・専門家には,利害のつながりしかあり得ません。・・・



《うるさい用事とは,人として生きていく力を養うチャンスです。》

 ○暮らしは細々とした雑用によって動いています。朝時間が来たら自分で起きます。カーテンを開けて雨戸を開けます。洗面では石けんや歯磨きを使いますが,無くならないように気をつけておかねばなりません。朝食の材料は用意していた材料でしか作れません。出勤や登校では期限内の定期券,壊れていない傘を持って出かけます。・・・。何事もないように過ぎていく日常は,誰かが自分のことを気遣っていてくれるからです。

 人にありがとうと言ってもらえるのは,うるさい用事をしてあげたときです。わざわざして頂いたという気持ちが,人を人に結びつけていきます。うるさい用事は,人の温もりを秘めた玉手箱なのです。


 【質問6-07:あなたのお子さんは,うるさい用事をしていますか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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