*** 子育ち12章 ***
 

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「第 6-06 章」


『プライドの ねじれを暴く 陰の声』


 ■はじめに

 一期一会という言葉があります。人生において一度の出会いを心を込めて大切にすることです。講演のお招きを頂いたときに,いつも念頭に置いている言葉です。何かのご縁で出会う方に,一つのことをお伝えできたらと,話の材料を厳選し,配合を工夫し,気持ちよく味わって頂こうと心を砕きます。

 講演前は諸連絡のために担当者の方と連絡しあうことがあり,ご丁寧な依頼状を受け取ります。当日はじめてお会いして,直に挨拶を交わすことになります。講演が終わり会場を辞すると,そこで出会いは終了です。後でお礼状を頂くことは滅多にありません。頂くことがあっても紋切り型のお礼状です。残心という言葉がありますが,何事にも終わった後の余韻があり,それを丁寧に取り繕う心根がありました。

 一連のやりとりは,手紙の文面にたとえれば,拝啓という言葉に始まり,用件があり,敬具という言葉で締めておくのが作法でしょう。依頼状があれば,お礼状で締めるという形式があるはずです。何となくやりっ放しという印象が残ってしまい,けじめがつきません。

 ママが一所懸命に夕食を作って家族に食べさせても,何の感想も言ってもらえないとせっかく心を込めて作ったのにと寂しくなりますよね。食べてくれるだけましなのかもと自分を慰めるしかありません。でも,それではやはりやる気は出てきませんよね。

 人が共に生きるためには,それなりのけじめをつけておくことが必要でしょう。けじめをつけるとは,相手の方への思いやりです。言い換えると,相手の自尊心を満たしてあげることです。講演者が心を込めた話に感想をきちんと伝えること,連れ合いの気持ちが炊き込まれた食事に感謝すること,それを当事者として感じるなら,同じ思いを相手にさせないようにしたいものです。誰でも,自分を認めて欲しいという自尊心を持っているのですから。



【質問6-06:あなたのお子さんは,プライドを持っていますか?】

 《「プライドを持つ」という意味について,説明が必要ですね!》


 〇誰がつき合うのでしょうか?

 人付き合いをしていると,相性という不思議なものに出会います。何となくウマが合うという仲があります。一体何が合えばいいのでしょうか。夫婦も相性で結ばれますが,その中身はどういうことでしょうか?

 人にはそれぞれに大切に思っていることがあります。価値観とも言うことができます。話していて安心できる間柄,信頼できるつきあい,傍にいるとほっとした気持ちを持たせてくれる人,いろんなパターンがありますが,そこには自分の価値観を大切にして気遣ってくれるという確信があります。

 人は誰しも自分が可愛いものです。もう一人の自分が自分を大切に思っています。相手が同じように自分のことを大切にしてくれるなら,もう一人の自分はその相手と自然に心を通い合わせることができます。価値観を共有し合って自尊心が満たされることは心地よいものなのです。

 お世辞を言われて,お世辞と分かっていても,やはり気持ちはどことなく浮き立ちます。その弱さは自尊心をくすぐられる快感がたまらないからです。つい甘い言葉に乗せられてしまい,心の錠をかけ忘れてしまいます。

 もう一人の自分が自分を愛おしむように,傍にいる人を同じように愛おしむことができたら,仲のよいおつきあいができるはずです。でも,それが簡単にはできないことが,人の性でしょう。傍にいる人だから余計にねたみやそねみも生まれます。そんなときは自分の自尊心を形成している価値観が変な風に肥満化しています。

・・・自尊心のエステを心がけないと,人が離れていきます。・・・


 〇存在の意味?

 ほめて育てるように言われています。どうしてでしょう。人は自分を価値あるものと思いたいのです。誰が思うかというと,もう一人の自分です。前号で育っているのはもう一人の子どもであると言いましたが,そのもう一人の自分は自分自身を常に見つめています。

 自分を価値のない存在と思ったら,もう一人の自分は自分を捨てようとして,自棄になります。自棄とは自分を棄てると書きますね。若い人が生きるということに悩む時期があります。生き甲斐であるとか,自分は何のために生きているのか,自分の存在に自信が持てない不安に捕らわれます。

 自分の命は自分のものであると確信したとき,その迷いが誕生します。自分が良ければいいという自尊心は,決して自分の存在を保証してはくれません。なぜなら,孤独な存在には意味が伴うことができないからです。存在の意味とは他との関係,つながりの中にしかあり得ないからです。

 ロビンソン・クルーソーが漂流したとき,ひとりぼっちになりました。それは絶望の淵でした。フライデイという仲間がとりあえず心の隙間を埋めてくれました。それでも自尊心は飢餓状態です。彼がやったことは,日記をつけることでした。自分がこの無人島に生きていた証を文字として残すことでした。いつのことか分からないにしても,誰かに読んでもらえることが存在の意味になることを知っていたからです。

 人を無視するシカトがいじめの手段になりうるのは,その子の自尊心をみじんに打ち砕くからです。存在を否定されたら,生きる意味が消滅します。ママに無視された子どもは,生きる気力が持てません。生きようとする力は確かに本能的なものですが,もう一人の自分が自分を生かそうとする意欲は周りとの温かなつながりがあるという確信によって支えられるものなのです。

 ほめるという関わりは,もう一人の子どもに生きる喜びを与えることになります。自尊心が満たされれば,子どもは育とうとします。あなたが育つことがママにはうれしいというメッセージこそが,子どもにとって最高のお世辞になります。

・・・本当の自尊心とは,自らの存在の意味を確信している心の姿です。・・・


 〇脱皮する自尊心?

 ママが子どもを大切に育てていると,子どもは自分が大事な存在と思います。それはとても大事なことですが,時として「わがまま」に育ってしまうことがあります。育ちは決して一本道ではないのです。正しい道を進んでいても,至る所に分かれ道があります。それに気づかずに真っ直ぐに進むと,本道から逸れていきます。

 塾に行っている子どもを親が車で送り迎えをしています。夜道は物騒だからという心配がある場合は仕方のないことですが,昼間は少し過保護です。子どもに勉強して頂いているといった風情です。してやりたい気持ちは分かりますが,子どもが勘違いをします。自分は親を従わせるほどの価値ある存在だという思い上がりが出てきます。

 「どうせママは暇だから,してくれてもいいじゃない」という甘えが,やがて「親は子どもにために何でもすべきだ」とエスカレートします。夕食のおかずは自分の好きなものであるべきだ,そうでなければ食べてやらないとわがままが育ちます。これは脱皮前の幼い自尊心です。

 生活は自分の思い通りには決してならないということを教えることが必要です。そのためには家庭を夫婦中心に営むことです。もちろん子どもを完全に阻害するのではありません。優先順位を子どもは後回しにするということです。手助けは必要なときだけに限ることです。

 世界が自分中心ではなくて,親中心,あるいは社会中心であるということを実感させるということです。おもちゃが欲しいと駄々をこねても,それが通用しないことをしっかりと教えます。このしつけによって,新しい自分への脱皮が促されます。自分が中心ではないことを分かったら,子どもは親や社会との折り合いの付け方を学び,真っ当な自尊心を作り上げていけます。

・・・自尊心とはスクラップアンドビルドによって脱皮すべきものです。・・・


 〇揺れるプライド?

 積み木を重ねていて中途で倒れてしまうと,泣き出してしまったり,ぐちゃぐちゃにしたり,放り投げたりすることがあります。自分の思い通りにならないことに直面するとパニック状態になり,我を忘れます。もう一人の自分が自分をコントロールできない状態になります。

 少し気持ちが落ち着いてくると,できないことが悔しくなります。もう一人の自分が自分に腹を立てるということです。そんなとき,もし誰かが自分の失敗を笑ったりすると,プライドが傷つきます。何かしくじりをしでかしてママが即座に叱ると,子どもはムッとした表情を見せますね。

 もう一人の自分が自分を責めているときに,人に追い打ちをかけられるとたまりません。大人でも言います。「あなたには言われたくない」。もう一人の自分が自分を叱る分はどうということはないのですが,人に触れられるとプライドに触ることになるので,嫌なのです。

 もう一人の自分は常に自分はダメな人間ではないと思っていたいのです。それがプライドの負の意識です。もちろん,自分は正しく有能であるという思いが正の意識になります。プライドは状況に応じてプラスに触れたりマイナスに振れたりします。子どもはその振幅が大きいということを,ママはよく心得ておいてください。

 もちろんプラスのプライドが心地よいので,子どもはそうありたいと願います。それが育ちの意欲として現れてきます。しくじりを責めるのはもう一人の子どもに任せて,ママはまず誰でも最初はうまくできないことを話してやり,次にどうしたら上手にできるようになるかを教えてやってください。大切なことはママはいつでももう一人の子どもの味方であると信じさせることです。

・・・子どものプライドを上手に操るのが,子育ての要です。・・・


 〇自分の面倒?

 園児たちが2列に並んで,先生に導かれて外出しています。社会見学の一環なのでしょうか。様子を眺めていると,園児たちの歩みは不揃いです。それぞれ勝手な思惑を持っていて,佇んでしまう子,後ろを振り返る子,何かを探している子,おしゃべりに余念のない子,ほとんどの子が,何のために歩いているのか全く分かっていません。

 引率の先生は,列の前に行ったり後ろに行ったり,注意したり構ったり,見ている方がくたびれるほどよくやっています。先生について列を乱さずに歩いていかなければともう一人の自分が思い,自分を真っ直ぐに歩かせるようにコントロールできていません。園児たちには,もう一人の自分がまだ無力なのです。自分の気持ちに忠実なだけの仮の自尊心に振り回されています。

 自転車に乗っていても,曲がり角から飛び出していきます。周りを警戒するのはもう一人の自分の役目なのですが,それができません。自分の立場を想像し,安全を確認するのはもう一人の自分です。園児から目を離せないのは,自分の面倒を見るはずのもう一人の子どもがまだしっかりとは育っていないからです。

 分別がままならないのは,もう一人の子どもがまだ生まれて間もない赤ちゃんだからです。自分を大切にすることがどういうことかも分かっていません。もう一人の子どもは遅生まれなのです。産みのママから育てのママへの変身の時期に入っています。自分をどのようにコントロールすればいいのか,もう一人の子どもに一つ一つじっくりと手渡しで教えていってください。

 その際,口で説明しても言葉によるイメージがまだ未熟ですから納得できません。いろんな実地体験が不可欠です。見たこともないものを想像しても,それはどこか不正確です。もう一人の自分の目で確かめなければ必要な情報は得られません。仮免許による路上運転と同じ段階なのです。

・・・自分の面倒を見られるまでは,仮の自尊心が支配的です。・・・


 〇常識破り?

 援助交際をして何が悪いという女生徒がいます。相手も自分も納得ずくであり,共に何の迷惑も受けていないという理屈を持ち出します。豊かな暮らしを維持するために仕方がないと実践している先輩に倣っているのかもしれません。価値観の多様さに過ぎないと等閑視してもいられません。

 こんな子どもに育ってしまったら,どう説得されますか? 言えることは,「もっと自分を大切にしなさい」です。でもそれが通じない虚しさだけが残ります。平行線なのです。自分を大切にという言葉の意味が違っています。プライドが変質してしまっているからです。

 どんな生き方をしようと,それはその人が選んだ生き方ですから,自己責任を取ればいいのでしょう。でも,社会は人が幸せに暮らす道筋を多くの人の合意の上で作り上げてきました。それから外れることは幸せからの離脱を意味します。いわゆる常識がそのマニュアルです。もちろん,裏技もあり得ますが,それはあくまで裏技です。

 細胞それ自体は素直に増殖しているだけであっても,いったん人体に入れば寄生はまだしも,バイ菌になり,ガン細胞になり,人体そのものを破壊してしまいます。拠るべき社会と共生できるプライドでなければ,生きる意味さえ失われます。もう一人の自分が頼っている社会の地図が未完成なものであるときに,誤った舵取りをしてしまいます。その地図の不完全さに気づかされないままに育ったことが,不幸の元なのです。

 常識通りのプライドを持つべきであるというのではありません。常識と重なるべきところはちゃんと重なっていて,脱常識に個性を発揮することは多様性として社会からも認知されるだろうということです。世間に背を向けたつもりでも,実は世間から背を向けられたことになります。

・・・常識を踏まえていないプライドは,不幸へのプライドです。・・・



《プライドを持つとは,育ちの履歴書を体現することです。》

 ○頑固な人,優柔不断な人,きっちりした人,いい加減な人,怒りっぽい人,冷めた人,いろんな人がいます。それぞれはその人なりの人生が紡いだプライドに拠って生き方を選んでいます。

 人は変わります。でも,同窓会などで何十年ぶりに出会った級友の中には,当時の片鱗を見つけることができます。育ちの間にプライドは土台ができあがっているようです。三つ子の魂百までと言われますが,もう一人の子どもの育ちから目を離さないように見守ってください。


 【質問6-06:あなたのお子さんは,プライドを持っていますか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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