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「第 61-01 章」 |
『子育ちは 自分の五感 働かせ』
■子育ち12表裏■
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『子育ち第1表裏』
【智】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第61版では,私の育ちの項では表の選択を,私たちの育ちの項では裏の選択を考えてみます。
《智について考える?》
人である要件は,自分のことは自分で決めるということです。生きるか生きないか,その問題に自ら答えなければなりません。この決定とは,多くの場合,どれにするかという選択の形になります。昼ご飯は何を食べようか? その自分の欲を満たすためのもう一人の自分が行う選択は,メニューという情報を知ってから可能になります。お母さんが料理をする際に,冷蔵庫に何があるかを確かめてから,メニューを決めているでしょう。物事を決めるためには,必要な情報という智が必須なのです。
汝自身を知れ。人は自分のことを知っているでしょうか? 自分を知るのは,もう一人の自分です。自分を幸せにするために,もう一人の自分が最も良い決定をしなければなりません。そのために,自分のことをありのままに知る,自分智があらゆる人智の中で最も大切なものとなります。自分は生きている価値があるのだろうか,そういう疑問に取り憑かれることがあっても,代々の命を受け継いでいる自分を知ることで自分を尊い存在であると納得できるなら,まっすぐに生きていくことができます。
智には,経験知という領域があります。自分を知る上では経験という自分と直接繋がる智が,子どもには有効です。人の感性を経たいわゆる情報よりも,自分の五感で捉えた情報を自分の頭で処理・整理・記憶することを通して,もう一人の自分が自分の智的世界を形作っていきます。富士山の映像をたくさん見ても,自分の目,耳,鼻,肌で直接感じ取ったものとは全く違います。それは,富士山と自分の存在が直に向き合うからです。智とは,他人の情報ではなく自分の情報によって積み上げていくものです。
夫婦げんかを見てしまった子どもは,自分が妹に意地悪したことが原因と怖れます。あらゆる見聞きしたことを自分に結びつけてしまうのが,幼児の経験知となります。虐待を受けてもひどいことをされるのは自分が至らないからと,自分のせいにしてしまうので,外部には訴えません。もう一人の子どもが育ってくると,親と自分を相対的に見ることができるので,自分への過度な関係づけはしなくなります。親子以外の第三者,隣人や祖父母が側にいてくれると,もう一人の子どもの育ちが促されるのですが。
★落書き★
当番を決めたり順番を決めたりするとき,じゃんけんをすることがありますが,紙があるとあみだくじをすることもあるでしょう。あみだくじは,必要な本数のタテの線を引いて,適当な横線を加えます。元々は,タテの線ではなく,扇のように放射状に線を引いていました。その線が阿弥陀様の後ろから八方に向かう光背の形に似ていることから,このくじをあみだくじと呼ぶようになりました。また,帽子を頭の後ろにずらして,ひさしをあげてかぶることはあみだかぶりといわれます。
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