*** 子育ち12章 ***
 

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「第 61-06 章」


『子育ちは 愚痴など言わず 考えて』


■子育ち12表裏■

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『子育ち第6表裏』

【愚】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第61版では,私の育ちの項では表の選択を,私たちの育ちの項では裏の選択を考えてみます。

《愚について考える?》
 「バカもん!」 カツオが波平父さんに怒鳴られます。かつての親は息子を人に引き合わせるとき,うちの愚息です,と紹介していました。親から見れば我が子はいつまでも子どもであり,頼りない愚か者に思われるのかもしれません。もちろん,本当はそうではないと思いたい,思っているのも親の情です。だからこそ,親は我が子の未熟な所だけがよく目に付くものです。悪い点はいくつでも数え上げます。子どもは愚かでいいのです。愚かだからこそ,育ちの楽しみがあります。なお,大器晩成というペースもあるようです。

 言葉が幼いと,愚かな印象を与えます。愚かではないことを賢いというのなら,賢さとは豊かな言葉を駆使できることです。難しい言葉を覚えた子どもに,世間では賢いねと評価することがあります。物事を的確な言葉で表現するとき,知恵が生まれます。一面の花畑を見て,ヤバいと言うか,素晴らしいと言うか,美しいと言うか,その表現によって,他者への伝達力が違います。他者が正確なイメージを描くことができる表現であるとき,賢い表現になります。言葉が貧弱である,それが愚かさを示します。

 物事が思うようにはかどらないとき,愚痴が出てきます。ときには,誰かのせいにすることもあります。あいつがしくじったからと,理不尽な言いがかりでけりを付けようとします。そんなことで状況は改善するはずもありません。ものの道理から外れているからです。道理を弁えていれば,愚痴が出ることはありません。現実をあるがままに見極めて,できることを正しく選択し,手順に逆らわずに取り組めば,愚痴の出る隙はなくなります。愚痴を言うのは,自分が物事を考えていない付けを払っていることなのです。



 前号に続いて,平成24年度の内閣府による人権擁護に関する世論調査で,「子どもに関し,現在,どのような人権侵害が起きていると思いますか」の問に,「虐待を受けること」が61%でした。今年7月に,母親と祖母から虐待を受けていた児童(10歳)が,児童相談所が適切な対応を怠り虐待が続いたとして,長崎県に慰謝料50万円を求めて,地方裁判所に提訴しました。父方の親族の相談を受けて,未成年後見人となった弁護士が法定代理人となって提訴したものです。

★落書き★

 名前という言葉の,「前」とは? かつて,目上の人に対して用いていた丁寧な言葉が「御前」ですが,前は神や貴人を指す敬称になります。名前の前も敬称として用いられています。出前という言葉も,注文客(御前さま)の所へ出かけていくということになります。前を前後の前という意味だけで考えると,訳が分からなくなります。知っている意味で見るとしっくりしない言葉に出合ったら,ちょっと調べてみる手間を掛ける,そういう余裕を楽しむことも大切です。


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