*** 子育ち12章 ***
 

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「第 61-13 章」


『子育ちは 救い救われ お互いに』


■子育ち12表裏■

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『子育ち第13表裏』

【救】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第61版では,私の育ちの項では表の選択を,私たちの育ちの項では裏の選択を考えてみます。

《救について考える?》
 子どもの将来の夢としての職業は,小学校卒業時の男の子では,スポーツ選手,研究者,医師,ゲームクリエーター,エンジニアであり,女の子では,教員,医師,ケーキ屋パン屋,看護師,漫画家イラストレーターということです。女子では保育士や薬剤師などもあがっています。医師や看護師のほか,レスキュー隊員,消防士,警察官などの,人を救う職業を目指す子どもは,長男長女に多いというデータを見たことがあります。弟妹の世話をしている日頃の暮らしが救いの心を育て上げたと思われます。

 無縁社会と呼ばれた状態は,人と人が関わろうとしない結果です。困ったことに陥った際に助けてと言える社会,ちょっとだけなら助け合おうとする社会,お互いに信じて頼り合える社会,信頼社会が子どもから高齢者までが望むものであるはずです。安心できる社会とは救いがあるということです。完璧な人間でなければならない社会ではなく,中途半端な人間であってもそれなりに生きていける余裕のある社会,自らの至らなさを責めながらも,お互いのお陰で救われる社会を作り上げていきたいものです。

 人は常にいろいろな苦労を背負いながらも生きていこうとします。自然な成り行きとして魂の救いが求められます。どのような救いを求めるかは自由ですが,少なくとも誰もが懐いている夫婦愛や親子愛,隣人愛,人間愛などを発揮することによって,お互いに救われているはずです。愛とは奪うものではなく与えるものと気付いたとき,その無償さという形に救いが込められていきます。見返りを求めない愛であるからこそ,子どもは親の側にいて魂の救いを得ているのです。笑顔になってほしい,それが愛の救いなのです。



 本号で第61版が完結します。第60版と共に,先人が語り継いできた人としてのよき性とわるい性を基にした羅針盤をお届けしました。よいこととわるいことは裏表になっているので,わるいことをしなければよいことになると考えがちですが,勘違いをしないでください。嘘はわるいこと,嘘を言わないことはよいことではなく,普通のことです。正しい知恵を語ることがよいことです。よいこととわるいこととの間に普通のことがあるのです。普通からはみ出すことに,よいこととわるいことがあるのです。

 次号から,恒例のように第62版に入ります。仕合わせになるために目指した方がよいと言われることについて,書いてみたいと思っています。羅針盤の指標に変動はありませんので,これまでの論点に沿って展開していきます。皆さんの背景に基づいてそれぞれに考える契機にしていただければ幸いです。

2015年中のご購読を心より感謝申し上げます。
2016年もよろしくおつきあいくださいますようお願い致します。
来る年が,皆様にとってよき年でありますようにお祈り致します。

★落書き★

 親を切ると書いて「親切」。どこが親切だ,日本語おかしい,と笑いのネタになっています。「切に望む」という言い方があるように,「切に」にはどうしてもと強く思う様子を表し,心から,心底からという意味があります。親切の「切」も同じように,親しさ,思いやりの程度が深く大きく激しいことを言い表しているのです。親を切るというのはおかしい,そういう疑問を持つことをきっかけとして,解いてみることで,言葉の幅が豊かになっていきます。


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