*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 62-01 章」


『子育ちは 責任を持つ 自意識を』


■子育ち12教示■

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『子育ち第1教示』

【責任の意識】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第62版では,仕合わせを目指す人生の目標として掲げられていることを,子育て羅針盤風にお伝えする予定です。

《責任の意識について考える?》
 子どもが育ってくると,自意識が芽生えてきて,反抗期として現れます。注意されると,「するつもりだったのに・・・」とつぶやきながら,ムッとします。人に言われると嫌なのは,自分で自分を動かす役割を奪われるからです。余計なお世話というのは,支配されたくない,自分のことは自分で決めたいのです。自意識が芽生えると,自分を尊重するようになり,反抗的になります。そこで育ちが停滞すると,自分勝手,わがままという段階に止まって,穏やかな生活が遠のきます。

 家族や団体といった複数の集まりでの暮らしでは,我慢ということが求められます。なぜ我慢が必要になるのだろう,と気にするでしょう。そこで気付かされるのは,お互い様という周囲の人への気配りです。お互いにわがままではケンカになりますが,お互いに我慢すれば仲良くなれます。その方が結果として自分にとって都合がいいと納得するとき,お互いを尊重し合うという社会性の基本が身につきます。自分で自分をしっかりと抑制できることが,社会的自意識になります。

 お互いに気遣いができるとき,気持ちだけではなく,何気ない日常の行動に気をつけなければなりません。それが行動に責任を持つことです。責任の意識とは,自分の振る舞いについて責任を意識するということです。人の嫌がることを言っていじめるという行為をしでかしてしまうのは,行動に責任を意識していないからです。自分の行動が相手にどういう影響を与えるかという気配りを欠いています。責任の意識は,自意識が目指していくべき目標なのです。



 スマホなどによるネット世界が子ども世代に身近になっています。誰かとつながっていたいという欲求が,ネットによる不安定なつながりにしがみついているようです。メールやツイートに即答しなければというストレスを感じつつ,一方でFBのやりとりに嫉妬や妬みをかき立てられて不安定にもなっているという指摘があります。孤独に追い込まれるという不安を払拭するためには,自ら孤独になってみるという逆転も必要でしょう。すべての人と仲良くならなくてもいいという,現実感を持っておくべきです。

明けましておめでとうございます
今年も皆様にとってよき年でありますようにお祈り致します。

★落書き★

 ネットいじめでは,ありもしないことを吹聴し人を傷つける中傷がなされます。その「中」は何を意味しているのでしょう。「傷」はいためることを意味します。中はなかほどとか中くらいの程度といった意味ですが,中傷は中くらいにいためることなのでしょうか。ところで,中には,的中,命中,中毒などの言葉があるように,あたる,あてるという意味もあります。そこで,中傷とは中てて(あてて)傷つけるという意味なのです。中てるということで,故意であるという悪意が見えてきます。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第61-13章に戻ります
「子育ち12章」:第62-02章に進みます