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「第 62-05 章」 |
『子育ちは 気持ちに言葉 まとわせて』
■子育ち12教示■
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『子育ち第5教示』
【静かな理性】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第62版では,仕合わせを目指す人生の目標として掲げられていることを,子育て羅針盤風にお伝えする予定です。
《静かな理性について考える?》
若者から子どもの世代の言葉が感嘆符,叫びのように聞こえてきます。ヤバい,キモい,マジなど,気持ち的な反応に止まっています。だからどうなのという展開につながっていきません。感情的な表現を除いたら,何も話していないのではないでしょうか。感情表現をぶつけ合えば,熱くなるしかありません。困ったことに,人の感情は千差万別です。したがって,生の感情は共存することができません。人の関係が壊れていくのは,感情のもつれということです。感情を包み込む装いが,人としての資質になります。
子どもたちの会話が弾んでいないはなぜでしょう。何かを話していても,それぞれが話しているだけです。誰かが何かを話したら,別の人が別のことを話します。自己主張が盛んなようですが,話がつながったり進んだりせずに,それぞれが勝手に放言をしているという状況です。会話の要は,人の話を聞いて,自分の言葉でつなげていくことです。そのときに必要なものが,間という沈黙の時間です。聞いた言葉につながる適切な言葉を探す作業時間がなければなりません。会話とは,ゆったりと進むものなのです。
あいつムカつくね。どこが? どこって全部! わからないことをいうね! もういい! 何がどうなのかということを理解しようとすれば,どうすればいいのかが見えてきて,物事のねじれは解くことができます。沈黙の時間がもたらす落ち着きが,物事を論理的に考える余裕となります。感情を野放しにすると衝突に向かいますが,静かに考える理性を纏っていれば,仕合わせな関係を結ぶことができます。そのためには,感情的言葉ではなく,理性的言葉による会話を楽しむことが大事です。
単純な作業をしているとき,側で見ている人は,手が空いていれば手伝いましょうかと声をかけます。ところが,若者はただ黙ってみているだけです。どうして手伝おうといわないのか,それは手伝ってといわれないからです。いわれないと動けないのです。作業をしている人を見て忙しそうだなと思っても,手伝ってくれたらと思っているかもしれないとは思いもしません。目の前の人と想像的な会話をしていないのです。言葉が聞こえない,聞こうとしていなければ,関係は途絶えていくだけです。
★落書き★
長い間情報の代表であったのは放送です。テレビ放送に代わってスマホ情報が,赤ちゃんのお守りに登場してきているようです。ところで,放送とはどのような語源があるのでしょう。かつて船舶の無線電信では受信すると受け取ったという返事を出すことになっていました。ところで,無線局が個々の船舶の応信を得ないで一方的に送信したものを「送りっ放し」という意味で「放送」と呼んでいました。大正14年東京放送局が,放送という言葉をbroadcastingの訳語として採用したということです。
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