*** 子育ち12章 ***
 

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「第 62-09 章」


『子育ちは 止まる待ちあり ぼちぼちと』


■子育ち12教示■

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『子育ち第9教示』

【幸運の契機】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第62版では,仕合わせを目指す人生の目標として掲げられていることを,子育て羅針盤風にお伝えする予定です。

《幸運の契機について考える?》
 自分の世代を超えて、世代間の時間で見ると,子どもたちは豊かな暮らしをしています。その中で,幸せ感がお手軽というか、ごく表面的なところで漂っています。例えば,欲しい物があったとして,お小遣いを貯めて手に入れるという発想が影を潜めています。大切なものは苦労して手に入れる,その手続きを無駄だと思ってしまうのが、豊かさの弊害です。学びの世界にも蔓延しています。予習復習という手続きを意味ないとないがしろにするから,学びの喜びが湧いてくることなく,学力の停滞に落ちていきます。

 コンビニエンスというお手軽さは間に合わせであり,生きていくことはじっくりと手間暇をかけることが本筋です。ぱっと出てくる食事ではなく,少しでも手を入れる間の我慢を挟むことで,美味しさが醸し出されます。食事そのものの熟成と同時に,おいしく食べる準備が整うからです。物事がすんなりと進まない場合,イライラするのではなく,うまく進むような計らいが進んでいると考えると,楽しくなります。喜びごとは,停滞を耐えて我慢し,考えを巡らす手続きを発動することで,より大きく育っていきます。

 気分屋さんの暮らしには,あまり幸運は訪れないでしょう。ちょっと待つことが苦手で,飽きやすく,移り気で,気持ちに落ち着きがないからです。幸せの入り口に居合わせていても,やがて幸運への扉が開くまで立ち止まることができずに,そばを通り過ぎていくだけになります。SNSで友だちとのべつまくなしに話していても満たされたという気にならないのは,孤独になるという対話の停滞が持ち込まれていないからです。話を互いに反芻し熟成する手続きが必要なのです。人の能力が及ばない成り行きを請じ入れましょう。



 川崎の中学1年生を殺めた少年に対して懲役9年以上13年以下の不定期刑を言い渡した横浜地裁の判決が,25日に確定しました。この判決に対して,中1少年の奪われた年数に比較して刑の短さを受け止められない被害者側にいる方の思いがありました。18歳から選挙権を持たせる一方で,少年法の保護を受けるという一貫性の不備を指摘する声もあります。また,主犯の少年の成育環境の不適切さに配慮した判決に,成育者としての親の責任を問わなくてよいのかという意見も出ています。親として,どう受け止めますか?

★落書き★

 片栗粉? 片の栗? かたくり粉は,片栗というユリ科の植物の茎から作られていました。片栗の粉でした。固い百合という意味の「カタコユリ」がなまって,カタクリとなり,片栗という字が当てられたともいわれています。ただし,現在,市販されている片栗粉のほとんどは、ジャガイモのデンプンから作られているそうです。片栗粉と分かりやすい名前ですが,名は体を表していないようです。


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