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「第 63-12 章」 |
『子育ちは できぬ子どもが できたとき』
■子育ち12教訓■
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『子育ち第12教訓』
【できたらほめる】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第63版では,遠い国のある祖父が孫たちに語りかけたアドバイスから,教訓として12のメッセージを,子育て羅針盤風にお伝えするつもりです。
《できたらほめる?》
親は子どもに育ってほしいと願っています。それなら叱ってイライラするよりも,ほめて喜び合う方がずっと願いを叶えることになります。こう言えば,危険を避ける場合はしかる必要があるという反論が出るものです。そんな当たり前のことを持ち出すことはさっさと卒業して,前向きに考えるようにしましょう。親の思い描くような育ちでないことを叱ってはいないかを問われているのです。ほめるところがないと言っている間は,親自身の育ちにとらわれている子育てを押しつけているので,子どもは育てません。
できたらほめる,そう言われても,うちの子はできないことばかりで,ほめようがないと言い返されます。でも,さすがに親は子どものできないところをちゃんと見ていると,感心します。ただ惜しいことに,子どもを見る心構えが不足しているのです。できない子どもだから,ほめることができるのです。できない子どもが,あるときできるようになった,それを見届けることができるのは,できない子どもを見守っている親にしかできないことです。できたねと抱きしめてやれる,互いに喜ぶことこそが子育てです。
ところで,子どももできないことはいつまでも挑戦はしません。昔に比べて最近の子どもは諦めが早すぎるようです。もう少し粘り強く挑めばできるようになるのにと思われるのですが,自分をあっさり見限ってしまいます。親がダメと引導を渡してしまって,励まされて育って来なかったせいです。励ましとは,今努力していることを諦めずにもう少し続けさせることです。励まされていると,やがて自分自身で自らを励ますことができるようになります。それまでは,親の励まし,できたらほめる,その繰り返しが子育てです。
北海道の7歳児の置き去り事件が,子どもを危険に追い込んでしまったということで,話題になり,父親のしつけが問題視されました。だだをこねる子どもを置き去りにすることがありますが,これからはできなくなったと思われるかもしれません。何かあると丸ごと否定する頑なな思考は卒業しましょう。置き去りをしても目を離さなければいいのです。親は外では子どもから目を離してはいけないのです。見守りの中で置き去りをする,そういう柔軟なしつけを考え出してください。
★落書き★
昔の親が愚かな息子を叱るときに,「このたわけ者が!」と怒鳴りつけます。たわけとは,どういうことで愚かなこととつながるのでしょう。たわけを漢字で書くと田分けです。農民は子どもに後を継がせ,代々農業を続けていかなければなりません。複数の子どもに田を分けると一人分の面積は小さくなります。その子がさらに孫に分けると,田は小さくなって,農業を続けられなくなります。だから「田分け」は愚か者のすることであり,たわけ者という言葉ができたのです。
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