*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 66-13 章」


『子育ちは なぜの疑問を 追い求め』


■子育ち12活動■

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『子育ち第13活動』

【常識を疑い創造に邁進する】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第66版では,子どもの育ち12の活動として独自に選び抜いたものを,子育て羅針盤としてお伝えします。

《常識を疑い創造に邁進する?》
 人が持っている能力,その最も高貴な力は,考える力です。考えてきたから,人は生き延びるだけではなく,発展をしてきたのです。次代を担うことを期待されている子どもたちには,考える人になってもらわなければなりません。考えるきっかけは,なぜという疑問を向けることです。子どもが,なぜ,どうしてと,不思議発見をして大人に問いかけてくるのは,考えることが人としての本能の発露だからです。その疑問を解いてくれる知恵が常識ですが,そういうものという慣れになると困ります。

 常識は社会の安定に寄与しています。そこで,非常識は排除されることになります。ただし,常識外れは一概に拒否されるべきではありません。常識はきちっと固定されたものではなく,時代や土地柄によって変化する融通さを持っています。郷に入っては郷に従えと言われるのも,変化があるからです。その郷で,新しい常識を持ち込んでくれるのはよそ者です。常識を疑うというより,常識への囚われから抜け出してみようという気になったとき,考える力が目覚めてきます。

 子どものなぜ,どうしてという発見が,考える力によって物事の理解へと進んだとき,新たな世界の創造が生まれます。子どもたちに課されている学びとは,なぜをどのように考えるかという作法の習得なのです。後生畏るべしという言葉がありますが,それは次世代は先世代の常識を覆してくれる,創造をもたらしてくれるという期待です。常識外れでも自由に考えていいという余裕,そこに創造の可能性を期待する,それは大人から子どもたちへの素晴らしい贈り物です。



 すき込まれて枯れた田んぼの畦の上を,小さな白い蝶がひらひらと舞っています。どこかでひっそりと育って,蝶になって,生きようとする健気さが愛おしくなります。子どもたちも日々の育ちを積み重ねて,やがて成人となり,それぞれの命を何かに懸けていくのでしょう。育ちは生きることと同じです。生きていく営みをゼロから始めるとき,その初期段階を育ちといっているに過ぎません。育ちを考えること,それは生きていくことを考えることになります。だから,親は子と共に育つのです。

 さて,この第66版も今号で完結します。次号からは第67版になります。久しぶりに,子育て羅針盤の基本講座に返ってみることにします。スタイルを簡潔にして,エッセンスを抜き出してお届けします。違った味わいを楽しんでください。

★落書き★

 地元の小学校の卒業式に出席してきました。卒業生はそれぞれに一つの節目をやり終えたという自信を証書と一緒に携えているようでした。送り出す拍手に,これからもまっすぐに育っていくようにと願いを込めました。もうすぐ一年生。入学式が待っています。学校は同じ活動を淡々と繰り返していますが,そこを通過していく子どもたちは,しっかりと育っていきます。その子どもたちの親は,かつてこの小学校を卒業していった子どもたちです。式典は育ちについて考えさせてくれます。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第66-12章に戻ります
「子育ち12章」:第67-01章に進みます