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「第 66-12 章」 |
『子育ちは 少しの育ち 継続し』
■子育ち12活動■
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『子育ち第12活動』
【少し頑張る努力を継続する】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第66版では,子どもの育ち12の活動として独自に選び抜いたものを,子育て羅針盤としてお伝えします。
《少し頑張る努力を継続する?》
たくさんの大人たちが振り返って語ってくれる言葉は,とどのつまりが「苦あれば楽あり」ということです。楽して幸せにはなれないのが,人の道であったという反省の弁です。そのことは,子どもにとっては,自分の力を手に入れるために苦労することが育ちであるということなのです。育たなければ大人になれない,未熟な自分を鍛える苦が実って大人に近づいていくと素直に受け入れると,育ちが楽しみになることでしょう。自分を励ますもう一人の自分が目覚めているように・・・。
「継続は力なり」という言葉を目にすることがあります。諦めずに挑戦する直向きさが,育ちの姿です。頑張れという支えは,今の努力を止めたくなったときに,もう少しだけ続けてみようと背中を押してやることです。育ちができている子ども,例えば成績のよい子どもは,皆が止めるところで止めずに,少しだけ続けているだけです。試験前の一夜漬けのようにまとめて頑張るというのは,無駄な頑張りになります。すこしの頑張りを日々継続する,それが本当の頑張りです。
ところで,子どもは飽きっぽくて,何をやっても長続きしないということがあります。ぜんぜん頑張っていないようです。中途半端では,育ちも思いやられます。遊びでも学習でも初めてのことをやっています。すなわち0からスタートしてちょっとだけ進んで,止めています。そんなことをあれこれ繰り返しています。それは,0から1まで育ったことになります。したことがある,それが1という育ちです。たくさんの1の育ちがあれば,やがてどれかを2,3の育ちに続けていくことができるのです。
子どもの育ちに限らず,人として生きていく目標が欲しくなることがあります。自分は何のために生きているのかという疑問に迷い込むことがあります。そんなときには,自分が拠り所にしている常識を疑ってみることもしてみる価値があります。○○らしさであるとか,○○でなければならないといった縛りから,自分を解き放してみることです。世間の情報に振り回されていないか,別の視点はないか,別の道はないか,別の生き方はないか,その迷いの中から新たなものが見えてきます。
★落書き★
「あやまり」という言葉はいろいろあります。過ちは,旁は多いの意味で甚だしく道を行き過ぎるというアヤマチです。過失の結果と認める誤りは,誤の旁は違うの意味で,言いアヤマリ,言いマチガイです。過失を詫びるのが謝りで,旁は遮る,捨てるの意味で言葉を使って辞退・拒絶することです。アヤマリという日本語が曖昧であるところを,漢字を使ってそれぞれに言い分けることができるようになっているようです。
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