*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 71-09 章」


『子育ちは 今できること 手抜きせず』


■子育ち12標準■

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『子育ち第9標準』

【現実を直視しよう?】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第71版では,「子育ち」が獲得しなければならない必須の項目を,確認していきます。日々健やかに育っている子どもたちは,人間として豊かな能力と感性を備えていくことが期待されています。育ちのエネルギーは絶え間なく吹き出しているので,導きを誤ると不都合な育ちに向かう恐れがあります。友だちをいじめて喜ぶような子どもに育ってほしくはないはずです。親も本人も後悔しないように,12の必須の標準を再確認していきましょう。

《現実を直視しよう?》
 下校時の見守りをしていると,いきなり歩道から飛び出して横断する児童が目に入ります。自分が危険のある車道に飛び出しているという用心の気配がありません。注意をすることになります。公共施設の廊下を走り回っていて,お年寄りにぶつかりそうになっています。時と所を弁えない子どもの姿があります。遊んでいる子どもを見てハラハラしている親は,子どもの無茶さを心配しているのですが,声かけのタイミングや加減に悩んでしまいます。

 今でしょ!という言葉がありましたが,成長は常に今です。何らかの生きる力を身につけるためには,今の実力を知ることから始まります。あの嫌な試験は今の自分を知るために大事なことです。人と競って比べるのも育ちの進行の程度,成熟度の検証のためです。決して自分の駄目さを思い知り自己否定するためでは断じてありません。今の自分が弱いから,育とうとしているのです。今ここから育っていけばいいのです。もう一人の子どもが自分の力を知らなければ,育ちの意欲は出てきません。

 親として,子どもが現実を直視することにどのように関わっていけばいいのでしょう。もう一人の子どもが自分の弱さに直面できるように,親が子どもに小さな課題を与えることです。できないことを否定するのではなく,できないことをもう少しだけ続けてみようと励ましてやります。今はできなくていいと認めるためには,ここまではできていると確認をしてやることです。今そこにいる子どもを親が認めてやることで,もう一人の子どもは現実を真っ直ぐに見ることができるようになります。



 日本大学のアメリカンフットボールの選手が「つぶせ」という指導者の指示に従って,相手チームの無防備な選手に危険なタックルをして怪我をさせたことが騒動になっています。試合上の相手の役割を阻止するという意味でつぶせという言い方がされているようです。人をつぶすということは想定外のことです。ただ,普通にはつぶせと言われるとゲーム感覚で人までつぶしてしまうことは想定すべきことです。敵をひねりつぶして遊んでいると,暗示されてしまうかもしれません。美しい言葉を!

★落書き★

 がむしゃらに振る舞う様子を「しゃかりきに」と言うことがありませんか? 漢字で書くと「釈迦力」で,釈迦の力のことです。釈迦が苦しむ人を救うために,一生懸命にその力を振るったことから,夢中になって何かに取り組むことを言うようになったということです。所で,一生懸命は本来は一所懸命であると知っていますか? 一所という土地を得るために命を懸けて戦をする武士の心音を言い表す言葉でした。一生に命を懸ける,意味が分からないのでは?


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第71-08章に戻ります
「子育ち12章」:第71-10章に進みます