*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 73-01 章」


『子育ちは 私が育つ 意志あって』


■子育ち12願語■

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『子育ち第1願語』

【私らしくありたい?】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第73版では,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの発露としての願っていることに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという思いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと支援の手を伸ばすことができるでしょう。それは一方で,子育てをしている大人には,大人の出過ぎる願いを控えることにつながるはずです。子どもの願いという新たな12の指標盤を楽しんでください。

《私らしくありたい?》
 物心ついてくると,子どもは生きるために必要な自己主張を始めます。例えば,大人の生活に合わせるのではなく,子どもは自分の思うままに動こうとします。そこで親からしつけという強制が働きかけられ,行き過ぎると虐待に至りかねません。もう一人の子どもが親の思いを斟酌し自分に言い聞かせるようになる育ちは,ゆっくりと進んでいきます。自分を私,あるいは名前で言えるようになるとき,やっともう一人の子どもが生まれてきているのです。親が名前で語りかけてやると,もう一人の子どもに寄り添えます。

 私らしくあることの意識は,自分の名前があるということです。姓を共有するということで,私の家族という意識が私らしさに幅を持たせてくれます。自己紹介をするとき,言わなければならないのが名前です。住所や趣味や特技といった事柄を纏っていくと,私らしさが明確になっていきます。私らしさは,一方で,あなたとは違うという意識でもあります。お互いにみんな違っていいんだという了解をしておかないと,私らしさが不遜な向きに暴走しかねないので,要注意です。

 親として,子どもが私らしくありたいという願いを持って育つためには,どのように関わっていけばいいのでしょう。例えば,もう一人の子どもが自分の主張を表現してくるときに,早合点をして途中で話を遮ることなく,最後まできちんと耳を傾けてやることです。私の言いたいことをきっちりと受け止めてくれたという思いが,私らしくあることの自信を培ってくれます。子どもを一人の人として受け止めてやるということです。私らしくあり得ているという納得,それが自尊感情です。



 台風が今最も接近しています。少し外れているので,雨が降っている程度です。直撃している方面の方のご無事を祈るばかりです。進行方向には身内も住んでいるので,心配です。過ごしやすい秋の季節に,なぜ台風のような厄介なものがはまり込んでいるのか,自然の多様さに喜怒哀楽の気持ちが振り回されます。祈るという気持ちを無理矢理思い起こされるのも腹立たしいのですが,身を案じる術として,祈りしか持ち合わせていません。どうか皆様ご無事で!

★落書き★

 室町時代,社寺の屋外で猿楽や田楽が催されたとき,貴人らは桟敷に座りました。その桟敷と舞台の間には芝生があって,そこは庶民の席でした。江戸時代にそのような席は「芝居」と呼ばれ,やがて,演劇自体もその名で呼ぶようになりました。演劇そのものには触れずに,演劇を見る人の席が演劇を表すとは,演劇に対する姿勢がうかがい知られて興味深いことです。見てやっているという目線が意識されているようです。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第72-13章に戻ります
「子育ち12章」:第73-02章に進みます