*** 子育ち12章 ***
 

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「第 72-13 章」


『子育ちは 今生きている 直向きに』


■子育ち12熟語■

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『子育ち第13熟語』

【知足安文?】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第72版では,「子育ち」が獲得しなければならない必須の項目を,漢字表現に託してみます。同じことを違った表現をすると,視点が動くことによって,隠れていた面が明らかになります。乱暴な子は元気な子,内気な子は考え深い子,落ち着かない子は好奇心旺盛な子,と表現すると違って見えてきます。どこまで視点を動かすことができるか分かりませんが,挑戦することが大事です。新たな12の指標盤を楽しんでください。

《知足安文?》
 連れだって登校していた同級生が,ある日から別の同級生と連むようになりました。話しかけても,素っ気ない返事しかなく,時にはこちらを見て皆で笑っています。どうしてと思い返しますが,思い当たることはなく,途方に暮れるばかりです。逆の場合もあります。新しい友達ができると,旧い友達とは離れることになります。嫌いになったからというのではなくて,単に関心が移っていったに過ぎません。育つにつれて,知り合いの範囲は広がっていきます。それは,お互い様でもあります。

 SNSなどで,外されるといういじめがあります。縁を切るということの辛さを知っているから,いじめの手になります。縁を切られたら,切り返せばいいだけのことではと言われます。食堂で孤食を見られたくないという若者がいるということですが,友達がいないという状況は恥ずかしいことと思い込まされているようです。人は一人で生まれてきて,一人で生きていき,一人で死んでいきます。一人であることは恥じたり怖れることではありません。皆同じです。その自覚が,お互いを大事に感じるスタートになります。

 親として,子どもが知足安文の状態を保って育つためには,どのように関わっていけばいいのでしょう。もう一人の子どもが自分の存在価値を信じてひたすら人としての願いに寄り添っていくように,大人が導いてやることです。あなたは私の子どもとして生まれてきた大切な存在だから,その境遇を受け入れて,真っ直ぐに生きていけばいい,それが親の願いであると,伝えてやることです。親としての責任は,この親の子で良かった,と思ってもらえることかもしれません。



 運動団体での不祥事の発覚が連続しています。子どものスポーツ団体における監督による体罰も出てきています。年配の世代における,叩いて鼓舞するというしつけの経験を肯定する風潮が,今の時代に合わなくなっていることに気付こうとしていません。されたことをしているという単純な指導しかできないのでは,今の指導者にはなれません。今の時代の指導を学ぶ気が無くて,指導をするというのは無謀です。自転車に乗れるからといって,自動車の運転はできないのです。自分に資格があるか,資格意識が必要です。

 今号で,第72版が終わります.次号からは第73版に入ります。相も変わらぬスタイルですが,目先を変えてお届けしようと無い知恵を傾けています。今の世情の中で子育てされている皆さんは,今の情報の中であれこれ考えておられるはずです。見たり聞いたり遭遇したり,今の状況に寄り添いながら,羅針盤が示す向きを提示できたらと願っています。ご一緒に考えていただくきっかけになれば幸いです。

★落書き★

 若干という言葉の干は干すという意味ではありません。干は十と一に分かれて,若干で「一の若く(ごとく),十の若し」という意味です。はっきりとした数字ではないが,それほど多くはないということで,転じて,「少しばかり」という意味になりました。人手の募集ビラなどで,若干名という記述が見られます。状況次第で動きが出てくることがあるからでしょう。字だけを見ても,何のことやら分からない言葉です。難しいですね。


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