*** 子育ち12章 ***
 

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「第 74-03 章」


『子育ちは 我取り戻し ほっとして』


■子育ち12独語■

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『子育ち第3独語』

【ほっとする?】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第74版では,第73版の続編として,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの最中に心でつぶやき続けている言葉に寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという思いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いが子どもにきちんと伝わっていくことでしょう。子どもの自然に発露する独り言という新たな12の指標盤を楽しんでください。

《ほっとする?》
 幼いときは,母の懐に飛び込んだとき,気持ちの力を抜いて,ほっと安堵します。もう一人の自分が誕生して親離れをしてしまうと,つらい思いをしているときは格別でしょうが,普段でも個室に入るとほっとします。もう一人の自分に自分を任せてしまうことができるからです。悔しいときには気が済むまで涙を流してもいいし,うれしいときは心の底からはしゃいでも構いません。誰にも遠慮をしなくていいからです。気持ちも身体も緊張から解き放たれた状況になるとき,ほっと一息つくことができます。

 外出するときに身繕いすることは必須ですが,休みの日には見られることがないという気楽さがあります。人の後ろにいると気楽ですが,人の中に入ると緊張し,人の前ではなおさらです。もう一人の自分が見られている自分を意識するからです。自分をよく見せようという思い,そうではなくても,せめておかしくないという安心を得たいと気を張ってしまいます。ところが,連れ合いや家族など気心の知れた人の前では,自分を飾ることがないと納得できているから,安心して自分を曝け出して,ほっとしています。

 親として,子どもが「ほっとする」という思いを育ちに組み込んでいけるためには,どのように関わっていけばいいのでしょう。親子関係では,親は子どものありのままをまずは認めてやるようにします。ダメという否定は2番目にします。子どもの存在を認めてほっとした状態を与えた上で,その振る舞いや思いなどの一部を改めるように導きます。子どもの全否定をすると,子どもはどうしようもなくなります。自分が認められない存在なのだと,もう一人の自分が思うようになっては,育ちどころではなくなります。



 5歳の子どもがユーチューブを見始めると,すごく集中して画面に見入ってしまい,時間の際限がなくなると大人が嘆いています。時は金なりという言葉は,限りある時間を有効に使うということですが,育ち盛りの子どもにとっては,育ちに必要なものが多様であり,片寄り無く摂取する時間配分が求められます。それを単純なことだけに使いすぎると,バランスを壊すことになるという心配が生まれます。一芸に秀でるのではなく,基礎能力を培うことが育ちなのです。

★落書き★

 テントウ虫を漢字に変換すると,天道虫と出てきます。天道とは,中国でこの世を治める神のことでした。かつて王が誤った裁判を行ったとき,この虫が真犯人の手に止まり,そのさまを見た王が判断の誤りを悟り,裁判をやり直して真犯人を突き止めたという故事から名付けられたそうです。天の道などいう旧い意識を捨て去ることで,人が自らの能力には限界があるという節度を持たなくなったとき,その先は恐ろしいことになりそうです。おごれるもの久しからずという言葉がありました。


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