*** 子育ち12章 ***
 

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「第 74-09 章」


『子育ちは 我慢の節目 積み重ね』


■子育ち12独語■

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『子育ち第9独語』

【がまん?】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第74版では,第73版の続編として,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの最中に心でつぶやき続けている言葉に寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという思いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いが子どもにきちんと伝わっていくことでしょう。子どもの自然に発露する独り言という新たな12の指標盤を楽しんでください。

《がまん?》
 我慢という言葉を知っていると,もう一人の自分が自分に「今は我慢しておこう」と言ってやることができます。我慢を知らないと,モノを壊したり,人を傷つけたり,不都合なことを招き寄せます。大人になってから怒りに任せて行動するあおり運転などをしでかすことのないように,自分の無謀な振る舞いを抑制できるように育ってほしいものです。もう一人の自分は,自分がアクセルだけのブレーキの無い車のようだと思っていたら,不安でつきあいきれないはずです。安心な自分であると信頼したいでしょう。

 家族が不在でさみしくなることがあります。遊びや学びの途中で壁にぶつかり立ち往生することがあります。ちょっとしたすれ違いから怖いことが起こりそうで不安になることがあります。我慢するしかないと自分に言い聞かせたり,一時お休みして出直そうとしたり,怖い思いを誰かに打ち明けて我慢できるように助けてもらったり,それぞれの状況に応じて,事態を乗り越えて行くしかありません。ことに立ち向かうときに必要な勇気は,一旦自分の弱さに負ける自分を我慢するから,発揮できるのです。

 親として,子どもが「がまん」という思いを育ちに組み込んでいけるためには,どのように関わっていけばいいのでしょう。我慢していた子どもは,ママの姿を見たらほっとして泣き出してしまうでしょう。しっかり抱きしめてやってください。しばらくすると,子どもは我慢で使い果たした気力をママの温もりから取り戻します。我慢できたね,えらいね。そうして子どもの我慢を認めてやることで,我慢することが生きる上で大事で良いことであると学んでいくことができます。我慢して当たり前と見過ごさないように。



 子どもの思うことやすることは,脈絡がなく無軌道で,想定どおりではありません。てきぱきと順調に運ばなければならない大人の世界には馴染みません。さっさとしたい大人はグズグズする子どもにいらついて,さっさとしなさいとしつけをしたくなります。しつけが押しつけになってしまうと,そのつもりはないけど端から見れば虐待です。子どもの育ちのペースを保証するためには,大人の側に我慢が求められています。世間も子どもを邪魔にして,施設が近所にできることは格落ちと拒否します。かつての子どもたち?

★落書き★

 江戸時代の歌舞伎の顔見世興行で,人を笑わせる道化方は看板や番付で三番目に名前が書かれました。そこから転じて,その後映画や芝居などで滑稽な役をする俳優のことを「三枚目」と呼ぶようになりました。因みに,一枚目は主役,二枚目は美男役の俳優の名前が記されました。二枚目俳優というのは,主役ではなく,皆に人気のある美男子という意味であって,二枚目の看板からきているのです。一枚目という言い方はあまり聞きませんが,主役は当たり前過ぎて目立っていないのでしょうか?


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