*** 子育ち12章 ***
 

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「第 75-08 章」


『子育ちは アリガトウから ドウゾまで』


■子育ち12発心■

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『子育ち第8発心』

【役立とう!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第75版では,第73版,第74版の続編として,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの最中に心から思わず湧き上がってくる言葉に寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる願いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと伝わっていくことでしょう。子どもが自然に発露する宣誓という新たな12の指標盤を楽しんでください。

《役立とう!》
 独りぽっちになるとさみしくなります。誰からも相手にされない,そういうシカトがいじめになるのは,人とのつながりが大事だということを示しています。子どもの悩みの相談では,友だちと思っていたのに急に訳もなくよそよそしくされたというものがかなりあります。誰も自分のことを分かってくれる人が居ないと思ったら,生きていく気力が失われます。虐待されている子どもが,自分が悪いからと懸命に我慢しているのも,親に見捨てられることを怖れているからとも考えられます。つながりは命綱なのです。

 人とのつながりにはいろんな側面があります。その中で,アリガトウという言葉が出るようなつながりは,たとえそれが口に出されないものでも望ましいものです。その温かな関係から生み出される価値があります。それが真善美という形になり,人としての生きる喜びを与えてくれています。アリガトウという簡単な言葉を込めることができる関係をつくるためには,ドウゾという言葉で人の役に立とうとする行為を始めることが必要です。人に求められる存在になる,それが温かなつながりを招き寄せることになります。
 
 子どもが「役立とう」という発心を育ちに組み込んでいけるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。幼い弟妹がいれば,兄姉として面倒を見てやらなくてはという立場になって,自然にアリガトウと言われるようになります。きょうだいが少ない状況では,親が隙を見せて,子どもの世話になるようにします。親が子どもにアリガトウと言わせるのではなく,親がアリガトウと言う立場になることです。そうすれば,子どもはドウゾという立場に立ち,役立つ喜びを経験することができます。



 最近の交通事故による子どもたちの命の喪失は,とても心痛むことです。大人たちが仕出かすほんの些細なしくじりや勘違いのとばっちりを諸に受け止めてしまうと,子どもには耐えられないものです。子どもを育てるという仕組みが,今の社会システムにはほとんど組み込まれていません。昔のような子どもが安心して育つ空き地が,今は全く失われています。文字通りの空き地だけではなく,大人の気持ちの中にも,子どもを見守ろうとする余裕という空きを持てなくなっています。少子化はなるべくしてなっているのです。

★落書き★

 江戸時代の娯楽であった人形浄瑠璃の人形づかいに,野呂松勘兵衛という名手がいました。彼は間抜けな役柄の人形を操ることを得意にしていたところから,彼が操る人形は「野呂松人形」と呼ばれました。そこから,愚かなこと,動作が鈍いことを意味する「のろま」という言葉が生まれたということです。自分の名前が愚かなことを意味するようになったことを,野呂松さんが知ったとしたらどう思うでしょう? 芸の素晴らしさに結びついているということで,誇らしく思ってくれるでしょうか。


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