*** 子育ち12章 ***
 

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「第 75-13 章」


『子育ちは 自分の力 使いつつ』


■子育ち12発心■

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『子育ち第13発心』

【生きよう!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第75版では,第73版,第74版の続編として,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの最中に心から思わず湧き上がってくる言葉に寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる願いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと伝わっていくことでしょう。子どもが自然に発露する宣誓という新たな12の指標盤を楽しんでください。

《生きよう!》
 子どもが口に出す言葉に着目して,子育ち支援を考えています。今号では,口癖ということで,三つの言葉をみておきましょう。大人から指導を受けたとき,「だって,○○がないもの」などと,できない理由を持ち出してくることがあります。この「だって」は,何かをする条件が満たされていないので,自分にやろうという気持ちがあっても実行できないという訴えです。「だって」とは言わないで,「だったら,○○をしてみたい」と代案を出すようにすれば,前向きに生きようという気持ちを生み出すことができます。

 二つ目は「でも,そんなことはしたことがない」と,尻込みをすることがあります。「でも」は,自分を関わらさないためのバリアの言葉です。それでは閉じこもることになります。自分の能力で間に合うことかどうかが見極められないと,できないのではという不安が先立って,逡巡します。その不安を抱えたままでいいから,「でも」とは言わないで,「できるかも,途中まででも」と言ってみると,前向きに自分を押し出すことができます。できるところまでしてみる,それが生きようとして頑張るということです。

 子どもが「生きよう」という発心を育ちに組み込んでいけるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。三つ目の言葉の「どうせ」を言わせないようにします。「どうせ,私なんか何をしても」と子どもが自分を見限ってしまわないように導きます。「どうせ」と言わないで,「どうしたらいいか」と自分に問いかけるように促します。もう一人の自分が自分を信じてみようとすれば,生きようという気持ちをかき立てるようになります。生きるとは自分を何かに向けて動かすことです。



 子どもの安全に関する「ひまわり」という言葉があるようです。ひは,ひとりになること。まは,まわりから見えないところ。わは,わかれみち。りは,りようされていない空き家や公園。お子さんの通学路を辿ってみてください。特に下校時間の通学路が心配です.登校時は子どもも大人も一斉に動いていて,人目がありますが,下校するのは学年ごとに時間がずれているからです。何に気をつけたらいいか,防犯や交通面での安全を,具体的に教えておいてください。

 今号で,第75版が完結します。子どもの思いが育ちを方向付けているという立場で,育ちを考えてみました。類似の立場を続けることで育ちを立体的に認識できるのではないかと期待して,次の版では,心の動きという面で論を運んでみようと思い立ちました。3か月,お付き合いくだされば幸いです。

★落書き★

 昔の男の子はチャンバラごっこという遊びをしていましたが,今の男の子はゲーム画面のバトルに夢中なのでしょう。闘いと言えば,日本では侍です。ところで,さむらいとは,どのような意味があるのでしょう? 平安の中頃,貴人の家に仕える人を「伺候する」の意味の「さぶらふ」の名詞形「さぶらひ」と呼びました。やがて音変化して「さむらい」になり,やがて,武士の台頭に伴って,武士全般を指す言葉になっていったようです。仕えるという意味であったのですね。


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