*** 子育ち12章 ***
 

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「第 77-03 章」


『子育ちは 誠実な人 関わって』


■子育ち12心算■

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『子育ち第3心算』

【厚いつもりで薄いのが誠実 薄いつもりで厚いのが私情!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から考察しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視です。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると12の論点が生じ,これが羅針盤の針路構成となります。
 この第77版では,「子育ち」をしている子どもたちが育ちに向けているはずの心づもりに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる積もりを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちの育ちの現実に寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと重なっていくことでしょう。子どもがなんとかして向かっていこうとする心づもりを理解する新たな12の指標盤を楽しんでください。

《厚いつもりで薄いのが誠実!》
 登校するとき,出会った友だちに「おはよう」と挨拶を交わします。友だちも「おはよう」と挨拶を返してくれます。二人とも笑顔です。何気ない朝の出会いですが,顔を合わせることによって,安心して一日を共有することができます。交差点で誠実なボランティアのおじいさんが「行ってらっしゃい」と声をかけてくれます。でも,仕事に急いでいるおじさんは,登校の列を邪魔そうに避けながら,怖い顔をしてにらんできます。私たちが何かいけないことをしているのかなと,不安になってしまいます。

《薄いつもりで厚いのが私情》
 お母さんが忙しくしているとき,妹の面倒をお兄ちゃんがみてくれています。元気な妹がお兄ちゃんの髪の毛を思いっきり引っ張ってくれます。痛いので,お兄ちゃんが妹の手をちょっと強めに払いのけると,びっくりした妹が泣き出します。お母さんから「お兄ちゃんでしょ,仲良くしなさい」と叱られます。「ボクだって痛いんだから」,お兄ちゃんは不満です。泣かせようとは思っていなくても,自分の事情を人に押しつけてしまうことがあります。自分が一番大事なのです。

 子どもが「誠実を目指し私情に引き込まれない」という心算を実現できるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。子どもが大人に「して欲しくない」と切実に願っていることは,えこひいきされることです。もちろん訳もなく貶められることです。誠実に自分を見てほしいということです。親がこうあるべきという勝手な私情に塗れた色眼鏡で見ると,もう一人の子どもは自分を護るために私情の壁を持ち出し,他者を素直に受け止めない辛さを味わいます。誠実であるほうが居心地がいいと,しつけてください。



 子ども同士に誠実さが薄れているのでしょうか,いじめの認知件数が増えているという報告が出ています。自分の中にある不満という私情を,他者に向けていいという勘違いをしているようです。イライラしたからと他者に当たり散らしたという事件が目に付きます。友だちがいじめられているのを見ても,「止めよう」と制止する声が出て,「そうだ」という賛同する声が出ると,いじめは収束するはずです。友だち思いということではなく,それぞれが人としての誠実さを厚くして欲しいと願っています。

★落書き★

 滑稽な人がいると場が楽しくなりますが,無口な者は少しあやかりたいと思うかもしれません。滑はなめらか,稽はとどまるという意味の漢字です。滑稽は,弁舌が滑らかと思えば,一瞬とどまるといった具合に緩急自在であることを言いました。そのような弁舌はおもしろいところから「おかしい」という現在の意味が生まれてきました。おもしろいのとおかしいのとでは少し違いますが,おかしい方が多く好まれているうちに,すり替わってしまったのでしょう。言葉の世俗化です。


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