*** 子育ち12章 ***
 

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「第 77-04 章」


『子育ちは 親切の仲 喜んで』


■子育ち12心算■

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『子育ち第4心算』

【多いつもりで少ないのが親切 少ないつもりで多いのが愚痴!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から考察しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視です。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると12の論点が生じ,これが羅針盤の針路構成となります。
 この第77版では,「子育ち」をしている子どもたちが育ちに向けているはずの心づもりに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる積もりを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちの育ちの現実に寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと重なっていくことでしょう。子どもがなんとかして向かっていこうとする心づもりを理解する新たな12の指標盤を楽しんでください。

《多いつもりで少ないのが親切!》
 お姉ちゃんは,お母さんからいつも言われています。「お姉ちゃんなんだから,妹には親切にしなさい」。わがままな妹の世話をよくみてくれて,仲良し姉妹のようです。お姉ちゃんにも都合があり,時々妹のことを後回しにしたり,できないことがあると,少し気になります。貸してやった,分けてやった,してあげたなど,親切な行為は自分が損することです。そのことに気付いてしまうと,見返りを求めたくなります。親切にしてやったのに・・・。席を譲ってやったのに,お礼も言わないで失礼な人と思うことはありませんか?

《少ないつもりで多いのが愚痴》
 学校で掃除当番のとき,真面目に取り組んでいると,いつの間にか最後を任されてしまいます。皆は適当に切り上げて立ち話に興じています。なんでいつも僕ばっかり!と,思ってしまいます。先生がちょっとしたお手伝いがあるときは,いつも言いつけてきます。頼まれると仕方が無いのでお手伝いをしています。便利に使われていると思ってしまうと,どうして僕ばかりと愚痴を言いたくなります。用事を言いつけられると,どうして僕がしなければいけないのと理由を問いたくなります。親切は損ばかり,しない方が得になりそうです。

 子どもが「親切を目指し愚痴に引き込まれない」という心算を実現できるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。家族の間柄はお互いにできることを仕合っています。相手の役に立っていればそれで十分という思いが親切です。一方で世間にある貸し借りや損得の勘定は,お互いへの思いが絡まないクールな関わり合いが必要なときの,公平さを原則とする取引です。その区別をきちんと教えることです。曖昧にすると,金を払っているからと親切を無理強いするストーカー行為に踏み込みます。



 親切という字は親を切るですが,親に育ててもらう子どもは,恩を感じます。恩返しをしなければと思ってくれればいいのですが,親がいなくなるまでは気付いてくれません。それでも,親の恩を自分の子どもに親として注いでくれればいいのです。直接我が親への恩返しではなく,付けを子どもに回す恩送りです。世代の恩送りではない場合は,世間の恩送り,情けは人のためならずで,いずれ返ってくると信じておきましょう。そのような余裕のある認識ができるようになりたいものですね。

★落書き★

 深切と書いて,深くて甚だしいことを意味します。そこに人情が深くて甚だしいという意味が加わって「信切」とも「心切」とも書くようになりました。それがいつしか「親切」に変わったということです。「親」は親しい,身近に接するの意味で,「切」は刃物を直に当てるように身近である,行き届くという意味があり,したがって,身近に寄り添い行き届くのが親切と解されています。親が身を切る思いで子どもに接しているという様に準えられると共感されたのでしょうか。


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