*** 子育ち12章 ***
 

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「第 77-08 章」


『子育ちは ドウゾが招く アリガトウ』


■子育ち12心算■

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『子育ち第8心算』

【熱いつもりで冷たいのが感謝 冷たいつもりで熱いのが要求!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から考察しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視です。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると12の論点が生じ,これが羅針盤の針路構成となります。
 この第77版では,「子育ち」をしている子どもたちが育ちに向けているはずの心づもりに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる積もりを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちの育ちの現実に寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと重なっていくことでしょう。子どもがなんとかして向かっていこうとする心づもりを理解する新たな12の指標盤を楽しんでください。

《熱いつもりで冷たいのが感謝!》
 クリスマスやお正月が近まってきました。子どもたちはプレゼントやお年玉といった頂き物を楽しみにしていることでしょうが,親は悩ましいことでしょう。受け取るときに子どもはありがとうを言うはずです。しかし,子どもはいつもあらゆることを受け取る立場にいるので,ありがとうの意味を弁える機会がありません。ありがとうはドウゾと与える側の「有難い」ことへのお礼なのです。喜ぶ顔,それはドウゾという人の温もりを感じているものになってはじめて,熱いものになります。欲しかったから?

《冷たいつもりで熱いのが要求!》
 それなりに豊かな社会とは,モノが豊かであることです。選ぶことができるということが豊かさです。要るものは在るのが当たり前という思い込みがある中で,無いことがあり得ないと思われます。電気は使えて当たり前,停電するとなぜ使えないのかと要求する思いが強まります。人は周りから衣食住すべてを奪って生きています。生きるために要ると求める,要求をします。社会的に健全な関係には,ドウゾが先にあってアリガトウが付いてくる順序があります。アリガトウと言うからと,熱くなってよこせというのは恐喝です。

 子どもが「感謝を目指し要求に引き込まれない」という心算を実現できるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。大人社会で,立場が人を育てるといわれます。子どもも下級生の世話をすることで上級生として育ちます。アリガトウの感謝の真実を弁えるには,ドウゾという立場に置くようにします。アリガトウと言ってもらえることの悦びを経験できるように仕向けます。親が子どもにアリガトウと言えるように手配すれば,子どもはドウゾの立場になります。手伝ってと頼んでみては・・・。



 大学入学試験の改革の局面で,身の程という言葉が状況を変えました。この発言の問題点は,この言葉を使う立場を逆転したことです。アリガトウと感謝している人は,必要以上に欲張ってテイクすることをしないために,身の程でという目安を持ち出しています。ドウゾと喜んでもらおうとしている人は,受け取る人に向かって身の程を弁えて我慢するようにとは言うはずはありません。それを言ったら,アリガトウと言う立場の人を侮蔑することになります。人としての立ち位置には細やかな心配りが肝要です。

★落書き★

 おっくうになることがあります。漢字では億劫と書きます。劫の字は時間の単位で,きわめて長い時間のことです。それが億の数あるのですから,億劫で非常に長い時間,永遠を意味します。この長い時間掛かるところから,面倒臭いという意味が生じてきました。面倒臭いことを面倒臭がらずに,相手を喜ばせようと,わざわざ面倒を引き受けてこそ,ドウゾという人としての温もりを発揮することができるようになるはずです。自分には億劫でも,寄り添う人のためになら。だからこそ,本物の感謝が待っている,はずです?


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