*** 子育ち12章 ***
 

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「第 78-06 章」


『子育ちは 知らないことに 導かれ』


■子育ち12心情■

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『子育ち第6心情』

【広いつもりで狭いのが理解 狭いつもりで広いのが曲解!】

《まえがき》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視です。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を意識します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が羅針盤の針路構成となります。
 この第78版では,77版に重ねて,子どもたちが育ちに向けているはずの心づもりに寄り添って考えます。育ちたいという健気な心積もりを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちの育ちの現実に寄り添います。それによって,子育ての願いも目の前の子どもにきちんと重なっていくはずです。子どもが向かっている心づもりを理解できる新たな12の指標盤を楽しんでください。

《広いつもりで狭いのが理解!》
 子どもがおねだりをする常套の理由は,皆が持っている,みんなしているという対比です。大人も言います。とかく日本人は○○,と自分は別と言いたいのでしょうが,それは自分が知っている狭い範囲の中でのことです。自分が知っていることがすべて,なんでも知り尽くしていると思い込んでいますが,実のところ,自分が知らないことは知らないので,知らないことがあるともう一人の自分には思えないのです。子どもの行動が危なっかしいのは,子どもが知っていることが狭いと,大人には見えるからです。

《狭いつもりで広いのが曲解!》
 ほんの軽い気持ちで友だちをからかいます。自分では些細なことと思っていても,からかわれた子どもがつらい気持ちになるという広い理解ができていません。ちょっとからかったという狭い思い込みは,広がればいじめという間違いを産む曲解になります。逆に言えば,ほんのいたずらでしたことが大きな迷惑になるという愚かさは,自分の行動に対する結果を曲解しているからです。ネットへの狭い内輪の書き込みが,とても広い結果につながっていくはずがないという曲解が,様々な問題を招いています。

《親としての関わりは?》
 子どもが「理解を目指し曲解に引き込まれない」という心情を実現できるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。子どもに親の知恵の広さを見せて,子どもに自分の知らないことがあると思わせることです。同時に,親も知らないことがあり,知るための学びや調べをしている姿を見せてやりましょう。勉強すれば物事の理解が進み,分かることが楽しくなると経験すれば,知識は広くなります。勉強して何になるのという足踏みを見逃さないで,新しい初めて聞いたということを与えてみましょう。



 子どもが賢くなる一つの方法は,知らないことがある自分を嫌がらずに素直に認めることです。知る楽しみが手に入るからです。知る楽しみは知らない自分だから持つことができるのです。知っているというのは,知っているつもりになっているだけです。物事は知れば知るほど奥深く幅広くなります。知らない自分に気付くためには,具体的な知識,言葉や情報というものにたくさん出会う機会を持つことです。その一つが本を読むということになります。笑える知識ではなく,考える知識に向き合うことです。

★落書き★

 ワザワザ情報を見ているのだから月並みはものは見せてくれないでという要望に応えるのは大変です。ところで,月並みの月って何でしょう。正岡子規が,月例の句会で詠まれるような凡庸な俳句を「月並調」と批判しました。この月並という言葉を,子規の友人であった夏目漱石が数々の作品の中で用い,月並は明治時代には流行後のように使われ,その後,日本語の中に定着しました。月例の句会,そこではありふれた句が詠まれていたということのようです。どういう月か,理解が一つ広がりましたか。


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