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「第 82-10 章」 |
『子育ちは 合わせて一つ 意識して』
■子育て12心育■
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『子育て第10心育』
【子どもが謙譲でいる心を育てましょう!】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視座です。また,2つの領域とは,自分の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が羅針盤の基本的な考察の構成となります。
この第82版では,子どもたちの心の育ちがどのようなものかを,総括しておきます。つい日常の子育てに向き合っていると見逃しがちな目標を,再確認していただければと思っています。子育てという山道を歩んでいくとき,目の前だけを見ていないで,たまには目を転じて向かっている頂を確かめておくことが迷わないために必要なことです。何となく成るように育てればいいというのではなく,あるべき育ちに沿っていくことができるように,親は子どもの育ちを見守りつつ支えてやらなければなりません。心豊かな子に育ってほしいという親の熱い願いが時として過剰に子どもに向けられることがあります。子どもは今の自分ではどうすればいいのと問いかけています。子どもの育ちのペースに寄り添った親の支援になるために,親は自分の子育てを検証することが必要です。今すべきことか,相応しい程度か,順序に沿っているか,子どもの育ちを見極めて,それなりに指導や助言をすることになります。子育ての全体を見渡したポイントになる12の指標を参考にしてください。
《謙譲にさせる》
人は自分がかわいいものです。自己満足していればいいのですが,つい人に見せつけたくなるものです。「すごいだろう」という快感を味わいたくなります。他人は口では「すごいね」と受けながらも,気分を害します。自己満足のお相伴ほどつまらないものはありません。なぜなら,あなたとは違うと暗に突きつけられているからです。自分のことを見せびらかすことや言いふらすことは,仲のよい友達関係を保つためには控えるようにしましょう。能ある鷹は爪を隠すという謙譲の勧めは,人付き合いには疎かにできないものです。自慢はしないということから始めましょう。
《控えさせる》
今の時代は自己主張しなければならないという局面が増えているかもしれません。ただし,自己主張するここ一番を見極めておくことが大切です。例えば,道を歩いているとき,私が通るといった態度をすれば,必ず肩が触れ合い,不快の種を押しつけ合うことになります。歩道を疾駆する自転車もその例です。お互いが少しだけ控えて譲り合えば,居心地のよい街になります。その他,共同の施設だから勝手気ままに使っていいと考えるのは,浅はかでしょう。社会生活は皆のものであり,自分一人のものではないという謙譲さをしつけることが,仲良く暮らすための第1歩です。
《先読みさせる》
飛び出したら危ない,という注意があります。飛び出したときに起こるかもしれない事態を想像するといった,先のことを考えることができるようになって欲しいですね。同じように,自分が言ったりしたりしたことが周りにどう受け止められるだろうか,そういう気配りができるようになるためには,考える時間を置くでしょう。その間が控えめになるきっかけになります。何も考えずにズカズカというパターンが謙譲的な行動を不可能にします。相手と自分のよりよい関係を保とうという気持ちを育てるために,相手の立場を想像するという先読みの経験をさせましょう。
《幸福感が育つ》
自分がされて嫌なことは他人に向けてしないように,教えています。銀の道徳律といわれます。自分がして欲しいことを他人に向けてするように,教えています。金の道徳律といわれます。自分と他者を同じように大事にしたいという心があれば,自然に実行することができます。仕合わせとは,お互いによかれと思うことを仕合わせることです。そういう間柄の人がいることが,しあわせの源になります。幸せとは寂しがり屋です。謙譲さによって控えた部分には相手への思いやりが詰まっています。思いやりを交換するから,幸せな関係が出来上がります。
ストーカーやDVの発生件数がずっと増加傾向にあります。自分の思い通りにしよう,思い通りにできると感じているからです。いじめも同じです。自分以外の人を支配して利用できると思い込んでいる人が増えてきたのでしょうか。ママ友関係につけ込んで母親を支配して金銭を奪い,幼い子どもを死なせていたという事件も報道されています。幸福を求むると同時に,他人の幸福を尊重し,いやしくもこれを犯すことなく,自他の自尊を傷つけないことが共存の道と,明治時代に福沢諭吉が説いています。
★落書き★
手紙では末尾に「敬具」や「かしこ」という言葉が書き添えられます。敬具は謹んで申し上げましたという意味,かしこは畏れおおいことのカシコで,こんな悪筆の便りを差し上げましたのは畏れおおいことでございましたという意味です。相手を意識して,自己を客観化し,相手を傷つけない配慮があったのです。最近はパソコンやスマホでメール交換ですが,そこにはこのような約束事はありません。メールでは,自分の思いを伝える情報だけが飛び交い,結果として炎上に至るのも必然です。手抜きは恐いのです。
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