*** 子育ち12章 ***
 

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「第 87-13 章」


『子育ちは 人智を受けて 足していく』


■子育ち12基礎力■

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『子育ち第13基礎力』

【基礎力を身につけよう!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第87版では,子どもが育ちによって身につけていく能力の全体を考えていきます。人の育ちは複合的な能力を過不足無く獲得しなければなりません。もちろん特別な能力を伸ばすことも大事ですが,人間としての基礎的な能力が生きていく基盤になります。育ちのペースは子どもそれぞれに違いますが,成人までにはすべての力をそれなりに獲得できるように,側にいる大人がちゃんと導いておくようにしましょう。

●《仁》人を思いやる心。人として大切な徳目として,語り伝えられています。「五常の教え」は旧すぎて今では無用のものと思われて省みられることは少ないでしょう。捨てるのは簡単ですが,それでは今の人は何を生きる核としているかと振り返ると,価値観の多様化という混沌があるだけです。そうであるなら,古い言葉でも,今風に解釈すれば,使う余地はあるはずです。例えば,人を利用することが賢さという生き方をするのは仁の喪失と考える,そういう価値表現をすれば,ぶれることがなくなります。極端に言えば,自分が刺せば相手が死ぬということに思い至る,それが仁による自制です。もちろん,人を助けるという慈悲も仁であるのは当然です。

●《義》人として歩むべき道。自分の利益を優先させて社会の利益が二の次になっているのは了解されていますが,物事には限度というものがあります。利益は損益と対になっているものであり,世間はゼロサムです。極言すれば,人はお互いに五分五分のバランスを受け入れなければなりません。義理を欠くことは,社会人として失格ということになります。人としての振る舞いが前提として認め合えるから,人は社会を安心して受け入れることができます。

●《礼》法律以前の社会規範。法律に触れていなければ何をしてもいいという開き直りを言い出す子もいます。礼という大きな社会規範があり,その中の一部が法です。法で禁じられていなくても,してはいけないことがあり,それは皆が了解しているはずであるというものが礼です。礼を失するのは無礼なのです。暮らし方の品行であり,下品な振る舞いや破廉恥な行動は避けなければならないのです。節度のある振る舞いをすることが期待されています。

●《智》学問の智慧ではなく,是非を判断する力。是非がはっきり言えなくて,どちらでもいいという意見が多いとか,人の顔色を見るといったこととか,自ら決断をしようとしないのは,考えることを放棄している弱さです。是か非か,正か邪か,曲直の区別,そして真妄の区別ができるのが「智」の力です。物事の道理を弁えて,行動に筋を通し,自らの言葉で意思を表明するといったことを可能にするのが生きる智慧です。

●《信》利害関係なしの信頼関係。利害が優先され過ぎて,社会の信頼関係を蝕んでいる事例が増えています。人間関係の有り様は,他人を欺かず,自分に嘘をつかないことですが,自分に嘘をつかないということが欲望に忠実になることという都合のよい誤解に落ちぶれました。結果として,他人からの信頼を利用しようとするようになります。正直であることはダサいといったおかしな風情にかぶれて,住みにくい世の中を作りだしています。実直さや真っ当さといった姿こそが,あるべき姿と再認識すべきです。



 第87版は今号で完結します。次の版では,育ちの方向に沿って持っていてほしい意識付けとしての信条を考えていきます。日々の生活の積み重ねが育ちになります。何気ない暮らしの所作を漫然と繰り返すのではなく,ある程度はこうしようと思っていた方が,育ちを感じ取ることにつながり,励みも生まれてきます。やりがいといった大げさなものではなくても,育っていく自分を自覚できるはずです。

★落書き★

 給食の時間にいただきますと言わせないでくださいと,学校に言ってくる親御さんがいるという話を聞いたことがあります。給食費を払っているからだということです。「いただきます」は特定の人に向かって言う言葉ではありません。神への感謝を表す言葉なのです。台所には荒神様という火の神が祀られていて,その神様のおかげで安全に火を使い,煮炊きができると信じられていたのです。だから,台所で作った食事を食べるとき荒神様への感謝を言ったのです。

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