『子育ちは 言葉正しく 人活かす』
■子育ち12課題■
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『子育ち第6課題』
【社会的に対処しよう!】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第90版では,育ちの課題について述べてみるつもりです。この羅針盤で考えている「私の育ち」と「私たちの育ち」に対応して,もう一人の自分の育ちを考えて「主体的」という言葉を,また人は社会生活が必至なので,自分は他者と対等な関係を持つことができるように育つと考えて,「社会的」という言葉を冠します。
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《対処》
言葉は物事を切り取りますが,意味を明確にするために,切り捨てる部分があります。よい子,わるい子と言いますが,実際の子どもはふつうの子です。暑い寒いと言いますが,暑いのは夏,寒いのは冬で,春秋は暑くも寒くもないちょうどよいとしかいいようのない季節です。背の高い人,低い人といいますが,ふつうの人に比べてということです。言葉で物事を考え状況に対処していますが,その言葉は,現実の一部分を表現しているものでしかないことを留意しておかなければなりません。
○お子さんは,臨機応変な頭の切り替えができていますか?
人はいつも期待や望みを持っていますが,現実は常に嫌がらせをしてくれます。そんなはずではないのにという,想定外のことばかりです。思い通りにならない状況に直面して,一瞬の戸惑いがあるでしょう。そこで気を取り直すことができるかどうかが,好転できるかどうかの決め手になります。もう一人の自分が,ドンマイ(Don't mind) と切り替える言葉を発すれば,自分の頭は切り替わっていきます。言葉は呪文という要素も持っているので,励ましや慰めになる言葉を持たせるようにしましょう。
○お子さんは,討論で自分への反対意見はその場だけのものと割り切れていますか?
討論や議論という場は,スポーツの試合の場と同じです。試合中は敵味方の関係だけですが,試合の外では敵対関係を控えて,友好関係になるべきです。ときにファンが場外にまで敵対関係を持ちだして争うこともありますが,それはルールに反します。討論は対立する意見の応酬ですが,そこでもし勝ち負けが出ることがあっても,討論を終えた後は論点に拘らない関係に戻るべきです。もう一歩進んで,討論で反論があるということは,持論をより高めるチャンスと捉えるべきで,しこりは無用にすることが正道です。
○お子さんは,難しいことでも解決するためにいろいろな方法を考えていますか?
人の能力は限られています。子どもはなおさらのことです。だからといって,できることが全くないということにはなりません。さっさとできない,ちゃんとできないということはあっても,時間を掛けたり,やり方を変えることで,なんとかこなすことができるものです。子どもには届かない高さも,椅子に載れば届くようになるということです。解決する方法を実現するためには設計図が必要であり,そのイメージを構想する道具が言葉の組合せです。「椅子に載れば」という言葉を見つけることが考える力なのです。
社会にはいろいろな役回りがあります。親であれば,PTAという組織との関わりが出てきます。順番だから仕方なしに役を引き受けるということもあるでしょう。余計なことには関わりたくないという気持ちがあっても,その気持ちに正直であることはわがままになります。嫌々ながら1年だけ我慢するということであるなら,大人として恥ずかしいことです。するからには嫌々という気持ちを切り替えて,すすんで役に取り組んだ方がお得です。何より,嫌々というのは逃げる姿勢になるので,子どもに誇ることができません。
★落書き★
明治時代に,あみだくじに金額を書いて,各自が引いた金額を出し合って菓子などを買うという,ささやかなギャンブルが流行していました。その頃のあみだくじの線は,今のように縦に引かれるのではなく,扇型のように放射線状に線を引くものでした。この放射線状の線が,ちょうど阿弥陀如来像の背後にある光背の形に似ているところから,このくじはあみだくじと呼ばれるようになりました。防止を少し後にずらして,ひさしをあげ気味にしてかぶることを,あみだかぶりといいいますが,これも光背の形に因んだ言い方です。
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