*** 子育ち12章 ***
 

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「第 91-01 章」


『子育ちは 子が納得し 決意して』


■子育ち12反転■

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『子育ち第1反転』

【指導と干渉!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第91版では,子育てと子育ちが反発してしまう心配をを考えておきます。子どものためを思って良かれと作用をしても,子どもからは良くない関わりになってしまうということです。親はしつけのつもりで関わっていても,子どもからは虐待となっていることがあると言われるようなことです。保護するのが親の務めですが,過ぎると過保護となって,育ちを疎外してしまいます。どんな点に注意をすればいいのか,羅針盤の12の視座から考えてみましょう。

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《指導》
 指導とは,方向を指し示して導くことです。例えば,「廊下は走らないで静かに歩くようにしよう」。走り回る子どもは,叱られます。分からない子どもには,従わせる強制が必要になります。危険を回避するための特例です。ところで,スポーツクラブなどで,指導されたことがこなせないとき,体罰を与えることがあります。家庭での暮らしで,親のしつけに沿わない子どもが虐待を受けることがあります。指導ということの基本を勘違いしています。
 指導は導くことであり,導きに沿うかどうかを決めるのは,子どもです。指導は,強制的に服従させる命令とは異質なものです。人は自分で考えて行動するものです。言われて行動するのは,言われないとしなくなります。指導は,他人に言われなくてももう一人の自分が自分を指導できるようになってほしいという働きかけです。自分のことは自分で決める,そのことを前提にすることが指導です。

《干渉》
 子どもにしてほしくないことは禁止し,してほしいことは推奨し,言われなくても弁えることができる子どもになってほしいと,親や大人は子どもに向けて指導という働きかけをしています。指導に従わないと,「勝手にしなさい」と見放されたり,「先が思いやられる」と脅かされたりして,プレッシャーが掛かります。大人は強大ですから,指導に従わないときに発動されるかもしれない仕打ちは,子どもには怖いものです。強制を伴う指導は,子どもには干渉と受け止められます。
 有無を言わさない命令,それは一方的であり,干渉でしかありません。干渉的関係は対等であることを否定します。したがって,大人は子どもを対等な相手とは認識しなくなります。子どもは独立した人格であるという認識が,もう一人の子どもの育ちを促すことになります。言うことを聞かないからと叱ったときに,涙ながらににらみ返してくる目の奥に,もう一人の子どもがいることに思いをはせましょう。指導とは,もう一人の子どもとの話し合いなのです。



 テレビやゲームが身近にある中で育った子ども世代の特徴として,「ケンカ早さ」があるそうです。いろんな事件の動機として,ちょっとしたことに「頭にきて」と語られることが多くなりました。ムカついたら凶行に走ってもいいという歯止めの無さが普通のことになっているという怖さがあります。耐えきれずにケンカになったということではなく,耐えることなくケンカに走るということです。そのような野放図を控える勇気は,父親が教え込むことなのですが,今,父親はどこに? 育休だけがお父さんの子育てではないのですが?

★落書き★

 お豆腐の味を純粋に楽しむことのできる湯豆腐で用意するものは,豆腐と水と昆布だけです。昆布からはダシが出ます。普通にはダシを取った後は昆布は取り出されますが,湯豆腐の場合は下に敷いたままにしておきます。豆腐は急激にゆでると固くなってしまったり,中に隙間が空いたりしてしまい,豆腐本来の味と品質を損ないます。そうなることを防ぐために鍋底に敷いた昆布に一旦熱を吸収させることで,豆腐が急激にゆであがるのを抑えているのです。

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