*** 子育ち12章 ***
 

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「第 91-11 章」


『子育ちは 未熟の自覚 乗り越えて』


■子育ち12反転■

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『子育ち第11反転』

【保護と過保護】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第91版では,子育てと子育ちが反発してしまう心配をを考えておきます。子どものためを思って良かれと作用をしても,子どもからは良くない関わりになってしまうということです。親はしつけのつもりで関わっていても,子どもからは虐待となっていることがあると言われるようなことです。保護するのが親の務めですが,過ぎると過保護となって,育ちを疎外してしまいます。どんな点に注意をすればいいのか,羅針盤の12の視座から考えてみましょう。

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《保護》
 コンビニエンス,手軽で簡単で便利な暮らしが出来上がっています。一方で,パーソナル化という個人を大切にする流れは,子ども一人一人を大切に保護しているようにおもわれます。子ども向けの商品も充実しており,至れり尽くせりです。子どもにとって関心が大きい遊びにしても,手の込んだゲームがあふれて,のめり込んでしまうほどです。こんな時はこうすればいいという反応を促すリアクション文化が,子どもの暮らしを楽なものにしています。
 子ども向けの世界が出来上がっているので,そこに住んでいれば,大人世界に入っていくということは思いもよりません。今のままでいいという,成長拒否に陥ります。世代間の交流も途絶えて,話が通じなくなるという実感も語られています。子どもをあまりに子ども扱いする保護が,子どもの育ちを足止めすることになっています。一人一人の親が我が子を保護するということではなく,すべての親がすべての子どもに対して,それとは意識することなく,結果として保護が過ぎているということです。

《過保護》
 現状のままで不都合はないという状況では,成長志向は目覚めません。安易さに流れないように自分で手掛けてみようとすると,自分にできないことがあると分かり,何とかしようとします。未熟であるという納得が,どうすればよいかという学習を招き,できるかもしれないという試行を促すはずです。そのような子ども自身の育ちの過程を踏むことがなければ,子どもの能力として身につくことはありません。車で山頂に行っても,そのことによって山に登る力がついたとは言えないのです。
 昔の言葉を出してしまいますが,「苦労は買ってでもしろ」と言われてきました。すんなりとできることばかりやっていると向上はないということで,自分の壁を突き抜ける経験が必要であるということです。世間には,苦労知らずのお坊ちゃんという言葉もありました。保護が過ぎて苦労を経験していないと,ちゃんとした大人に育つことができないという庶民の経験知です。勉強での苦労だけをさせるのではなく,暮らしの全般で,それなりの苦労,思い通りにならない状況を許して見守る適度の保護が望まれます。



 興味関心の対象は個人によって異なりますが,性別による違いもあります。母親の関心事と父親のそれとは違います。子どもは影響されますが,同時に異性が持つ関心についての知見を経験します。女の子であれば,父親を通して男性の,男の子であれば,母親を通して女性の,感じ方考え方を学び取ります。もちろん,性別に拘らず,複数の考え方があるという視野の広がりも経験するので,他者との異論に対する関わり方も学ぶことができます。複眼思考を父母が身をもって提示する,それも父親としての役目なのですが?

★落書き★

 左膝に右肘をつき,拳を顎の下に当てて,何かを考えている様子のロダンの有名な彫刻は「考える人」です。この名前は作者ではなく第三者が勝手に付けた名称です。彫刻の彼は,詩人ダンテの作品「神曲」をモチーフに制作した「地獄の門」という巨大な彫刻作品の一部なのです。その門は高さ6m,幅4mの円形で,その門の上に座って,罪を犯した人が地獄に落ちていく運命を観察しているのです。考えるよりも見ている人なのです。

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