*** 子育ち12章 ***
 

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「第 92-01 章」


『子育ちは 幸せ目指し まっしぐら』


■子育ち12幸育■

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『子育ち第1幸育』

【幸福になることを誓わなければならない】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第92版では,こどもが幸せに育つとはどういうことかを考えておきます。こどもには幸せであってほしいと願いますし,幸せになるために育ってほしいものです。何となく育っているのではなく,育つ喜びを発揮して欲しいのです。これまでの羅針盤がどこを目指しているのか、それは幸せであるということを確認しておきたいと思います。

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《幸福であるために》
 人に指図されると嫌な気分になるのは,決定権を奪われるからです。何であなたに言われなくてはならないのという反発は,自分のことは自分で決めるというプライドがないがしろにされるからです。人の言うがままになるのは,奴隷です。好きな人の言うがままになることを恋の奴隷と言いますが,惚れることは惚けることですから納得ずくです。人としての自尊心は,自分のことはもう一人の自分が決めているという状況です。だからこそ,決定権を奪って従わせることが刑罰となるのです。
 親は子どもの決定権を不安に思い,代行しようとします。親の言うことを素直に聞く子どもは,良い子という称号を与えられます。親子の関係を取り仕切っているのは親にとっては安心ですが,子どもからすれば不本意です。自分でする・決めるという反抗期が,決定権を奪還しようというやむにやまれない育ちの一つとして現れます。子どもなりの決定権を移譲する機会です。未熟な決定をするかもしれませんが,その責を負うという始末ができるとき,子どもは育ちの幸福を感じていくものです。

《幸福になるために》
 毎日何となく生きていては,幸せではないでしょう。懸命に生きようとしている姿は感動的ですが,そこに幸せが満ちあふれているからです。何事かに打ち込んでいる姿が美しいのは,幸せのオーラが迸っているからです。することを見つけ,自分をそこに導いていく決心,自分はこれをやり遂げるという誓いを立てた瞬間から,人は幸せモードに入ります。無我夢中で突き進んでいるときは幸せを感じることはないでしょう。それでも,振り返ったとき,無我夢中であったときが幸せであったと思うはずです。
 幸福とは手に持つことはできません。幸福になるという言い方が示すように,なる状態なのです。自分が幸せな状態になることですから,他人から譲り受けたり買い取ったりできるはずもありません。親が子どもを幸せにするということもできません。子ども自身を幸せな状態にできるのは,もう一人の子どもであり,自分を幸せにするともう一人の自分が誓わなければなりません。幸せはどこかにあるのではなく,今自分の中にある思い・願いに火を灯そうと決心さえすればいいのです。



 僕は今とても辛いです。というのは,クラスの皆が僕を除け者にして無視するからです.学校に行きたくありません。でも,お母さんやお父さんには言いません。大好きなお母さんやお父さんに心配を掛けたくないからです。それに,いじめられている情け無い子どもであると思って欲しくないからです。先生に言おうと思っても,いじめがもっとひどくなるのが怖くて言えません。だけど,もう気持ちがいっぱいで,どうしてよいか分かりません。(お母さん,どうしたらいいの・・・)。

★落書き★

 水道の蛇口をカランといいます。カランの語源はオランダ語の「クラーン」だと言われています。その意味は日本語で鳥の「ツル」です。蛇口から伸びた水道管がまるでツルの首のように見えることからクラーンと呼ばれるようになり,それが転じて「カラン」になりました。因みに,工事現場で見られる「クレーン」も同じ語源です。

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