*** 子育ち12章 ***
 

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「第 94-02 章」


『子育ちは 共に生きよう 私たち』


■子育ち12態様■

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『子育ち第2態様』

【子育ちは,他者との関係を通して導かれていく】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第94版では,こどもが育っている態様を説明しようとするとどうなるかを考えます。こどもには健全に育っていってほしいと願いますし,幸せに生きていくことができるように育ってほしいものです。何となく育っているように見えても,生きる喜びを掴まえられる脳力を身につけて欲しいのです。健全な育ちを実現する羅針盤として具体的な育ちの全方位を見届けることができるように確認していただけたらと思います。

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《誰と育つのか?》
 視聴覚を偏重するとき,もう一人の子どもは肥満化します。夢や空想の世界では何でもできるので,もう一人の自分は万能であると錯覚します。ところで,かつて3K(きつい,汚い,危険)といわれた世界は,触覚の世界,手足の世界であり,そこにいる自分は限られた力しか持てません。「もう一人の自分」が「できない自分」を拒否して,自己否定をすると,自暴自棄になったり,自閉するようになります。「もう一人の自分」が「自分」を逃避させるために他者否定すると,責任転嫁,反社会的行動を起こすようになります。
 自立するとは,もう一人の自分が自分をあるがままに受入れ,折り合いを付けていくことです。きついな,面倒だな,恐いな,嫌だな,しなくても,と思う自分に対して,「自分に出来ることはしよう」と,もう一人の自分が出張って,自分を励ますことです。人に言われてするのではなく,もう一人の自分が決めて実行することが大事です。

 1年生の作文です。「ゆうべ,かさをかぶってべんじょのちりがみをかいにいきました。かいちゅうでんとうをつけていきました。あめにぬれるのでだっこしました」。自分の行動を言葉で説明しているのが,もう一人の自分です。"あめにぬれるので"と言っていますが,主語は「ちり紙が」です。この「ちり紙が・・・」という言い方は,第三者的視点を持つもう一人の自分のものの言い方です。ちり紙と自分の関係を客観視できる力が育っています。自分以外を主語にして話すことが,人としての産声になります。
 周りのあらゆるものを主語にしていると,「わたしが」という主語以外にたくさんあることに気がつきます。私という存在は,たくさんの存在の中にあると了解できます。お母さんが,お父さんが,弟が、友達が,先生が,おじちゃんが,犬が,花が,風が,空が,・・・。たくさんの主語となる存在と自分との関係を意識するとき,社会性という資質が出来上がっていきます。子どもには自分のことを名前で呼ぶ時期がありますが,名前は他人から呼ばれるときに使うものであり,もう一人の自分が他者になっているのです。

 社会性が身についていない子どもは,わがままであり,自分さえ意識に閉じこもっています。身障者トイレに放火したり、やたらポイ捨てをしたり,自転車を盗んでいきます。自分と人間社会との調和が図れません。自分の周りにある社会には自分と同等な人間がいるという認識が実感を伴わないのです。自分と他者をつないで見ることのできるもう一人の自分が未成熟なのです。無免許や居眠り,飲酒運転が怖いのと同じように,もう一人の自分がまともに自制していない自分は迷惑な存在となります。
 親が望む子ども像の上位に,思いやりのある子どもがいます。思いやり,それは相手の身になって考えるということですが,それを考えるのはもう一人の自分です。もう一人の自分が自分から離れて相手の位置に移動するのです。自分と他人を同じ人間と「もう一人の自分」が納得するからできることです。他人の思いを察することが出来るのは,もう一人の自分であり,自分と他人を共に生かすために自分に出来ることを,もう一人の自分が考えます。ちり紙さんが濡れないようにだっこする,そこに在るのが思いやりです。



《何処で育つのか?》
 リビングが食堂になっていませんか? 一緒に過ごしていますか? 寝食を共にしていますか? ホテルに宿泊している人たちは,寝食を共にしています。でも,お互いにマナーを守る以上のつながりはありません。家族のそれぞれが自分だけの閉じた世界を持っていると,カプセル人間として孤立していきます。子どもは勉強だけしていればいい,生活の手伝いなど余計なことはしなくていい,それは家族として共に生きていることにはなりません。だから,心の平穏はないのです。余計なことで関わり合うから,落ち着くのです。

★落書き★

 お正月に鏡餅を飾りましたか? 段重ねの丸餅と,その上にミカンというイメージでしょうか。鏡餅は鏡に似ているからですが,昔の青銅製の丸い形をした鏡です。天辺に載っている果物はミカンのように見えますが,橙(だいだい)なのです。橙の実は枝から落ちることなく大きく成長することから,「代々大きく,落ちずに成長する」という願いが込められています。いのちが末永く受け継がれていくという大きな希望なのです。

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