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「第 96-10 章」 |
『子育ちは できそうなこと そばに見て』
■子育ち12視標■
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『子育ち第10視標』
【目標あり】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第96版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,見えて感じることができる視標という面から育ちを考えていきます。それぞれの完成度に違いがあってもそれは個性になり,一応の評価ができるようなら,幸せに育っているということができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたらと思っています。
《何故育つのか(私たちの育ち)?》
休みの日に,今日は何をしようかと考えても何も思いつかなくて,ゲームでもしようかとなっているようなら,育ちは足踏みをしています。子どもも大人もゲームに絡め取られているのは,なかなか勝てない,上がりにならないからです。思い通りにならないから,楽しいのです。もう一人の自分が,自分を思い通りに動かせないことに直面したとき,自分の育ちの楽しみが出てくるはずです。なんとかこの課題ができる自分になりたい,それが目標ありという育ちの意欲になります。
人が成長の目標に気付くためには,年長者と一緒に活動することが基本です。自分が知らないこと,したことがないこと,それも面白そうなこと,それは同世代の付き合いの中にはありません。一歩育ちの進んだ年長者が無意図的に教えてくれることです。お兄ちゃん,お姉ちゃんのようになりたい,目の前に目標があることで,育ちがごく自然に進んでいきます。同世代の付き合いしかない状況では,育ちの目標は何もありません。何を目指せばいいのか分からない不安が,いじめというはけ口に向かっていきます。
子どもの周りには,虚像としての課題があふれています。例えば,アニメの主人公たちは過度に有能です。幼いうちは夢見心地で真似をしていますが,幼児になってくると,とても届かないことに気付きます。遠い目標には,子どもは向かう気力を持てずに座り込みます。目標とはできそうなことです。また,幼児が大人と同じようにしようとしても無理なのです。大人目線ではこんなこともできないといいたくなりますが,育ちの目標の設定を過大にしないように留意すべきです。意欲をそぐだけです。
年長者が目標になるということを言っておきましたが,もう一つ大切なことがあります。それは,年長者が年少者に教えるということです。かつての子ども世界では,目標である年長者が年少者の方に近づいてくれたのです。年下の子の面倒を見る兄姉の役割が,今は見られなくなっています。兄弟の数が少ない現在,社会的なきょうだい関係を構築することが,子育ち環境の整備になります。子どもを育てるのは親だけではありません。子どもが子どもを育てるという発想を見落とさないことが大事です。
★落書き★
クリームパンは中村屋創業者の相馬愛蔵がシュークリームの美味しさに感動したことが発送のきっかけでした。その際に作られたクリームパンは三角形に近い形でした。今はグローブ形です。中身にあんを詰めたパンは中に空洞が生じてしまうことがあり,そのため品質が落ちてしまうことはないのですが,お客さんに損した感じを抱かせてしまうこともあります。そこで空洞ができないように空気抜きとして切れ目を入れた結果,見た目がグローブ形になったということです。
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