*** 子育ち12章 ***
 

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「第 96-11 章」


『子育ちは 失敗するから 機会知る』


■子育ち12視標■

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『子育ち第11視標』

【機会あり】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第96版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,見えて感じることができる視標という面から育ちを考えていきます。それぞれの完成度に違いがあってもそれは個性になり,一応の評価ができるようなら,幸せに育っているということができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたらと思っています。

《どのように育つのか(私の育ち)?》
 「十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人」という言葉があります。簡単には,「神童も大人になればただの人」と言われることもあります。神童と言われる子どもは、運動能力、学業成績などが同年代の子どもに比べて今の時点で秀でているのであり,能力が秀でているというよりも成長が早いだけということがあります。単なる早熟の子どもということです。親だけではなく子ども自身も能力抜群と勘違いすると,成長を止めてしまうことになりかねません。

 成長は,できる自分には不要です。できない自分という自覚があるから,成長をしたくなります。できない自分を認めるのは,面白くないでしょう。しかし,誰でも最初はできないところから始めていると納得していれば,いやになることはありません。秀才はそつなくこなしますので,失敗といった余計な回り道をしません。ところで,普通の鈍才は思い切り失敗を繰り返します。しかし,やがて失敗をしないようになります。たくさんの失敗をクリアすることで,鈍才は着実に裾野の広い成長をしていきます。

 小さな失敗を乗り越えていくことに慣れると,失敗を恐れなくなります。数度の失敗をしても,そのうちになんとかなると思うからです。失敗する直前まではできているのですから,そこまでの自信があります。失敗したところを少しやり直せばいいのですから,工夫を加えることが楽しくなります。こうしたらどうだろう? 試してみるという行動こそが,育ちの歩みなのです。妙に秀才ぶって,いざというとき,する気になったらできる,そう思って足踏みしていると,伸び悩むことになります。



 できない自分を自覚することが出発点になりますが,出発点ということに気付かなければ,足がすくんだままになります。立ち止まらないためには,周りからの導きが不可欠になります。できないことを気に病むのではなく,とりあえずやってみることを勧め,やり始めたことをやり続けるように励ますのです。「継続は力なり」という言葉があります。身体の運動機能を使い,感覚の感受性を生かし,頭脳の考察能力を働かせると,人は快感を覚えるはずです。最初の導きさえあれば,後は子ども自身が続けていくはずです。

★落書き★

 鶏を身近に見なくなっているかもしれませんが,薄暗い内から早起きして鳴いて時を知らせてくれていました。朝が苦手な鳥もいます。スズメは夕方の明るい内から寝床の木に入るくせに,そこから出てくるのは明るくなってからです。早寝遅起き派です。ただ,都会のスズメは照明が明るいために,夜更かしをして朝はゆっくり寝ているタイプが多くなっているそうです。

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