*** 子育ち12章 ***
 

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「第 98-04 章」


『子育ちは 間の多様性 泣き笑い』


■子育ち12宝語■

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『子育ち第4宝語』

【間】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第98版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたら幸いであると思います。

《間とは?》
 子どもたちの悩みを受け止めていると,人間関係上の居場所に対する感度が過敏になっていると言わざるを得ません。ほんのちょっとしたすれ違いでまるですべてを失ったように落ち込んでいます。親元を離れて,友達関係に関心が移っていくようになると,間合いという社会性を学ばなければなりません。オールオアナッシングという感覚のままでは,人間関係を維持することはできません。親しい間柄,ときどき話す程度の間柄,滅多に話さない間柄,顔を合わすこともない間柄といった,連続的な間の関係の度合いがあります。

 家族以外の人とは,親しくなったとしても,いつかは疎遠になったり,逆に徐々に親しさが増してくることもあります。時とともに人との関係は移り変わります。会うは別れのはじめといったことを弁えてこそ,人との関係を安らかに受け入れることができます。誰とでもいつまでも同じようにつきあえることはなく,場合によってはつきあいたくないときは突き放してもいいのです。ただ,ことさらに邪険に嫌うといった仕打ちは感心しません。そっと離れていけばいいのです。安らかな居場所がなによりです。

 人との関係性はお互いが勝手に決めることであり,自分の思い通りにはいきません。好きだと思っても,相手は嫌いと思っているということさえ有り得るのです。その認識を欠くとお互いの間が違ってストーカーまがいの付きまといに陥ります。人の思いを変えることはできないのです。それは人にどう思われていても,どうにもならないのです。それを苦にすることもなく,そういう人がいるとだけ諦めてしまうしかありません。心を平静に保っていれば,寂しくなることはありません。皆と仲良くという間に対する呪縛から解き放たれて自由になることです。



 ヘイトスピーチという言葉を耳にすることがあります。特に異国の人に対して,嫌悪や憎悪を煽るような表現をすることです。国際的にも問題視されています。若者の世界ではネット世界での表現が当たり前になっていますが,どちらかといえばあまりほめられるようなものとは思われません。普段の話しぶりを聴いている限り,対話ではなく独白に近いので,年齢や地域などの異なる人の間で分かり合えるのは難しいようです。誰にでも伝わるちゃんとした言葉遣いを身につけることが,品の良さの獲得になります。

★落書き★

 お正月のおせち料理にカズノコがあります。粒々の一つ一つが卵であり「子孫繁栄」を願うのに相応しいと「数の子」と呼んで,祝い膳に加えられるようになったのは室町時代の終わりからとされています。ところで,タラの卵をタラコと言いますが,ニシンの卵ならニシンコと呼びそうです。東北や北海道ではニシンのことをカドとも言っているそうで,カドノコと最初は呼んでいて,なまってカズノコになったそうです。


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