*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 98-03 章」


『子育ちは 親の温もり 結の元』


■子育ち12宝語■

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『子育ち第3宝語』

【結】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第98版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたら幸いであると思います。

《結とは?》
 人は社会で生きていきます。そのためには,人との結びつきが必須であり,その学びの場が家庭になります。ところが現在は,大家族から核家族に,そして孤族,個族となっているそうです。結婚をせずに,独身貴族を楽しんでいますが,それは独りぼっちということです。家族として親子のつながりを持つことによって,人は何を求めているのでしょう。家族が鬱陶しい,家族がまとわりつく,それが子どもの自立を促してきました。親元を離れたいと飛び出して,思う存分好き勝手をして,やがて寄り添いたいと思う人に出会い,家族を作っていく繰り返しです。

 家族を産み出すのは何でしょう。簡単に言ってしまえば,この人と一緒にいたいという思い,この人を喜ばせたいという願いです。互いを大切にしようとする夫婦の間に愛の結晶である子どもが授かります。親の愛を受けて,子どもは何不自由なく育っていきます。親からあれこれ世話をうけていながら,子どもは親を鬱陶しく感じ始めます。親離れです。家族でありたいと思いながら,家族から逃れようとする矛盾した状況で,子どもは家族のありようを経験して学んでいきます。

 家族から何かをしてもらおうという思いは,家族を利用しようという欲望ですから,ただの利害関係です。家族が壊れていきます。子どもを喜ばせたい,親を喜ばせたい,それが家族としての親子であり,子どもは家族の温もりが何かを自分の気持ちと結びつけて学びます。こういう子どもであってほしいと子どもに期待しすぎると,親が喜ばせてもらいたいということですから,家族関係から逸脱します。子どもはそれを感じて,家族が負担になっていきます。家族は向き合う人の笑顔のために喜んで汗を流せる仲間なのです。その結の学びがあればこそ,温かい社会が現れるはずです。



 背の高い人がいれば低い人もいます。若い人もいれば老齢の方もいます。優しい人もいれば恐い人もいます。いろんな人がいるのが社会です。そのことをどのように受け入れておくかが,生きていく上で大切です。ムシャクシャしたから誰でもよかったと車を人に向ける人がいます。何故人を殺してはいけないのか分からない人もいます。過度に怖がることは要りませんが,全くの無防備は危険です。社会が安全安心な所であることを信じる一方で,少しは疑うことも必要です。身を守る力も育ててやらなければなりません。

★落書き★

 陸奥(青森県),常陸(茨城県),丹波(兵庫県),大和(奈良県),安芸(広島県),薩摩(鹿児島県)など,旧国名はそれなりの情緒があり響きのいい地名もあります。ところが,現在の都道府県では,旧国名は一つも採用されていません。明治政府が幕藩体制を解体する必要から旧国名を徹底排除する必要がありました。当時の日本は旧国ごとにそれまでの独自の文化が育まれており,価値観が似ている地域を同じ県にまとめて置いた方がよいということで,名前は違っても旧国境と県境はほぼ一致してしまいました。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第98-02章に戻ります
「子育ち12章」:第98-04章に進みます